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アウグスト・ロア・バストス(、1917年6月13日 - 2005年4月26日)はパラグアイのジャーナリスト、脚本家、小説家。パラグアイ史上最も著名な作家であり、ラテンアメリカ作家の中でも最重要人物の一人である。 == 生涯 == ロア・バストスはパラグアイの首都アスンシオンで生まれ、幼年期をアスンシオンから南200kmのところにある小さな町イトゥルベで過ごした。彼の父親は砂糖の精製業を営んでいた。 1932年にパラグアイとボリビアの間にチャコ戦争が勃発すると、10代だったロア・バストスは学校を中退して、補助の衛生要員として兵士になり、そしてこの期間に彼は残りの人生を強く規定することになる決定的な恐怖を体験した。チャコ戦争終結後、銀行に事務員として務めると同時に、アスンシオンの日刊紙「エル・パイス」紙の記者を務め、その中で映画について書き始めた。第二次世界大戦の間ブリティッシュ・カウンシルによってロンドンに招かれ、ロンドンでエル・パイス紙の戦争特派員を務めた。また戦後は同紙のニュルンベルク裁判の取材員をも務めた。 1947年のパラグアイ内戦中、ロア・バストスは大統領への反対活動により、国外追放に処せられた。彼はアルゼンチンのブエノスアイレスに落ち着くと、そこで作品を出版した。その後も長らくアルゼンチンで活動したが、1976年にクーデターが起き、ホルヘ・ラファエル・ビデラ将軍による軍事独裁政権が誕生すると、彼はアルゼンチンを離れてフランスに渡り、南仏のトゥールーズ大学でグアラニー語とスペイン文学を教えた。 日頃から大嫌いだと公言していたアルフレド・ストロエスネル政権が1989年に崩壊するまで、ロア・バストスは故郷のパラグアイには戻らなかった。ストロエスネルが失脚したのと同じ年に、彼はセルバンテス賞を授与され、レアル・アカデミア・エスパニョーラとそれに対応するラテンアメリカ各国のアカデミーから表彰され、スペイン語文学における彼の突出した貢献が認められた。ロア・バストスはパラグアイに帰国すると、その賞金を未だに教育の普及していない祖国パラグアイの教育と識字計画のために使った。2005年、アスンシオンで死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アウグスト・ロア=バストス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Augusto Roa Bastos 」があります。 スポンサード リンク
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