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アウディトリオ・デ・テネリフェ(スペイン語:)は、スペイン・カナリア諸島のサンタ・クルス・デ・テネリフェにあるオーディトリアム。テネリフェ島の象徴的な現代建築物の一つ。サンティアゴ・カラトラバの設計により、2003年に完成した。 2008年にはスペインの最も象徴的な建物に選ばれ、スペイン国営郵便のコルレオース (Correos) が発行する六つの切手の一つに描かれた〔''コルレオース、アウディトリオ・デ・テネリフェを含むスペインの象徴的な六つ建造物の切手を発行'' 、2008年3月29日 (スペイン語)。〕。2011年には、スペインの地方都市のシンボルのひとつとしてアウディトリオ・デ・テネリフェがデザインされた 5 ユーロ記念硬貨が発行された〔Moneda conmemorativa del Auditorio de Tenerife. Año 2011. 〕。 == 歴史 == === 建築までの経緯 === 1970年には、テネリフェ島に講堂 (Auditorio) を創設する要求があった。テネリフェ島講堂が建設される候補地は転々とし、まず1977年、エル・ラモナル (El Ramonal) に講堂を建てることが承認され、翌年から建築案のコンペティションが始まった。当初は、プロジェクトには建築家のアントニオ・フェルナンデス・アルバ (Antonio Fernández Alba) が指名されていた。その後、1985年に、新たな建設地としてエル・チャパタル (El Chapatal) が選ばれた〔''アウディトリオ・デ・テネリフェの歩み'' (スペイン語)。〕。 1987年には、建築家のアントニオ・フェルナンデス・アルバ、ビセンテ・サーヴェドラ (Vicente Saavedra) とハビエール・ディアス・ヤーノス (Javier Díaz Llanos) が携わる計画が公表された。建築様式のコンセプトに変更があり、それ以前の計画は破棄されることとなった。 1989年には、最終的に建築をすることとなるバレンシアの建築家、サンティアゴ・カラトラバとの交渉が始まった〔。 1991年、サンティアゴは草案を公開し、その中でアウディトリオは、サンタ・クルスの中心にあるアベニーダ・トレス・デ・マヨ (Avenida Tres de Mayo, "五月三日通り") の端に建てられることになっていた。そして1992年、アウディトリオ建設のための監督委員会が設置された。 1996年には、海の近くに位置するカスティーヨ・デ・サン・フアン・バウティスタ (Castillo de San Juan Bautista) へ建設地を変更する案が受け入れられた〔。 1997年から、最終的な予定地での基礎工事を開始した。2001年は年間を通して「ジャケット」を形作るための17つの金属部品が設置された。その一方、2002年にはコンクリートと白いトレンカディス (Trencadís) を散りばめた漆喰の作業が完了し、その間に内部の部屋の音響工事も完了している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アウディトリオ・デ・テネリフェ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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