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アカネテンリュウ : ミニ英和和英辞書
アカネテンリュウ[てん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

テン : [てん]
 【名詞】 1. 10 2. ten 3. (P), (n) 10/ten

アカネテンリュウ : ウィキペディア日本語版
アカネテンリュウ[てん]

アカネテンリュウとは、日本競走馬である。1969年菊花賞の優勝馬で、同年の最優秀4歳馬牡馬(馬齢表記は数え)。同期はトウメイ天皇賞有馬記念)・ダイシンボルガードダービー)・リキエイカン(天皇賞)・メジロアサマ(天皇賞・安田記念)・ワイルドモア皐月賞)等。主戦騎手は丸目敏栄。後に星野信幸スピードシンボリの主戦騎手として有名な野平祐二も、アカネテンリュウに騎乗して目黒記念(秋)を制している。
== 戦績 ==
主な勝ち鞍は、菊花賞アメリカジョッキークラブカップ東京新聞杯セントライト記念日本経済賞・目黒記念(秋)。有馬記念2年連続2着で、菊花賞を優勝した後の有馬記念ではスピードシンボリを追い詰める2着、翌年の有馬記念ではダテテンリュウ(菊花賞優勝直後)とスピードシンボリと3頭の壮絶な叩きあいで再度2着となった。
春シーズンは下級馬であったが、夏の函館から「戦後最大の上がり馬」と形容されるほど急成長した。当時はしばしば上がり馬の事を「アカネテンリュウの再来」と表現された。菊花賞は直線で大きく内外を蛇行しながら勝利した。2着には翌春の天皇賞勝ち馬リキエイカンが入った。
アカネテンリュウは道悪馬場も得意であり、条件付ながらも重馬場巧者のラファール(不良馬場の安田記念を制した牝馬)に勝利した事もあった。また、斤量負けする馬でもなく、最後の勝利となった東京新聞杯とオープン(3回)を60キログラム以上の斤量で勝利した。因みに、競走名の付いていないオープンクラスの競走は、サラ系平地競走では1983年まで施行されていた競走で、有力馬が調整目的で出走する事も多く、負担重量の軽減と経験を積ませる目的で、見習騎手(斤量を減らせる特典〔現在ではオープンクラスは特別競走もしくは重賞競走だけになっているので、見習騎手による減量の恩恵は受けられない。障害競走では平場戦が残っているため、重賞勝ち馬でも見習騎手による減量の恩恵は受けられるが、中山グランドジャンプ・中山大障害の勝馬は平場戦ではほとんどの競走で5キロ以上多く背負わされるため、出走できる競走は限られるので、調整目的で平地競走に出走する例が見られる。〕がある)が騎乗する事も少なくなかった。有力馬を尻目にオープン競走で勝利を重ねる馬も居て、コーヨー(1972年馬インフルエンザの影響で福島で代替開催された関東の金杯勝利馬)やヤマブキオーの様な馬を指す、いわゆるオープン大将という言葉が存在していた〔当時は、八大競走では縁が無いが、ハンデ戦の重賞競走や平場オープンなど軽いレースでは活躍するような馬を指した。〕。
古馬になってからは、天皇賞に出走したが全て敗退、挑戦した4回の内の3回が同期の馬(リキエイカン・メジロアサマ・トウメイ)の優勝であった。長距離に適性があったが、1800メートルの中山記念トウショウピットトウショウボーイの半兄・パーソロン産駒)に差されはしたものの、2着の実績もある。父チャイナロックの産駒はタケシバオーハイセイコーのような500キログラムを超える巨漢馬が活躍したが、アカネテンリュウは470キロ前後の中型馬であった。
なお、長らくコンビを組んでいた丸目騎手は、1971年日本経済賞〔奇しくも、前年はアカネテンリュウが勝利していた。〕で落馬して重傷を負い、以後は星野騎手や野平祐騎手のいずれかが騎乗した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アカネテンリュウ」の詳細全文を読む




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