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アカプルコ貿易 : ミニ英和和英辞書
アカプルコ貿易[えき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

貿易 : [ぼうえき]
  1. (n,vs) trade (foreign) 
: [えき]
 【名詞】 1. divination 2. fortune-telling

アカプルコ貿易 ( リダイレクト:マニラ・ガレオン ) : ウィキペディア日本語版
マニラ・ガレオン[えき]
マニラ・ガレオン(またはアカプルコ・ガレオン)は、スペインの貿易船。1年ないし2年をかけて、太平洋を渡り、フィリピンマニラヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)のアカプルコを行き来した。名称はガレオン船と船の行き先による〔Williams, Glyn. 1999. ''The Prize of All the Oceans''. Viking, New York. ISBN 0-670-89197-5, p. 4〕。1565年から19世紀初頭まで存在した。メキシコ独立戦争ナポレオン戦争によって終焉を迎える。クリストファー・コロンブスの死後60年近くが経過してから就航したが、マニラ・ガレオンは「インドの富をスペインに運ぶ」、「東に行くために西進する」というコロンブスの夢を現実のものとした。また、この貿易を「ガレオン貿易」もしくは「アカプルコ貿易」と呼称する。
== 航路の発見 ==

マニラ・ガレオンの貿易は、ミゲル・ロペス・デ・レガスピ提督麾下のアンドレス・デ・ウルダネータによって創始された。フィリピン諸島への航路は、スペイン王カルロス1世の援助を受けたマゼラン艦隊によって1521年に開拓されていた。復路となるセブ島からメキシコへの航路は、ウルダネータが1565年に切り開いた。
レガスピの艦隊は、メキシコから太平洋を横断してセブ島に到達していた。レガスピは帰路を求めて艦隊を分け、その一部は南に向かった(レガスピ自身はセブ島に残り、制圧に着手、その後スペイン領フィリピンの本拠地となるマニラ建設の礎を作る)。
ウルダネータは、太平洋の貿易風大西洋と同様に輪を描いているのではないかと考えた。大西洋では、船を風に乗せるために、ボルタ・ド・マールと呼ばれる大きな弧を描く航路が用いられていた(マデイラから、直線では北東にあるヨーロッパに戻る際に、風を捕まえるため一度西に向かう)。ウルダネータは、北に行けば東への貿易風をとらえることができ、北米西海岸に着くと考えた。ウルダネータは北緯38度まで北東に進み、そこから進路を東にとった。予想は的中し、カリフォルニアのメンドシノ岬付近にたどり着いた。そこからアカプルコへは、海岸に沿って南に進むだけで良かった。
アルタ・カリフォルニア探検のきっかけは、行程の最終段階における(航海で損傷しているかも知れない)マニラ・ガレオンのための寄港地探しだった。はじめはあまり顧みられなかったが、18世紀後半には数隻のマニラ・ガレオンがモントレーに寄港した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マニラ・ガレオン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Manila galleon 」があります。




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