翻訳と辞書
Words near each other
・ アガツマ・エンタテインメント
・ アガテ
・ アガティス属
・ アガテュルソイ
・ アガテ・ハビャリマナ
・ アガディル事件
・ アガディル危機
・ アガディール
・ アガディール・アル・マシーラ空港
・ アガディール事件
アガディール危機
・ アガディール=アル・マシーラ空港
・ アガデス
・ アガデスとアーリットの襲撃
・ アガデス州
・ アガデズ
・ アガト (ローマ教皇)
・ アガトス・ダイモーン
・ アガトダイモーン
・ アガトラム


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アガディール危機 : ミニ英和和英辞書
アガディール危機[き, はた]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
危機 : [きき]
 【名詞】 1. crisis 
: [き, はた]
 (n) loom

アガディール危機 ( リダイレクト:第二次モロッコ事件 ) : ウィキペディア日本語版
第二次モロッコ事件[だいにじもろっこじけん]

第二次モロッコ事件(だいにじモロッコじけん、Second Moroccan Crisis)とは、1911年に、ドイツ政府が砲艦モロッコ南西の港湾都市アガディールに派遣したことによって生じた国際紛争である。別名アガディール事件(Agadir Crisis)。
== 背景 ==

1902年8月にベルベル人アブー・ルマラがスルタンを自称して現王朝に反旗を翻す(1907年鎮圧)など、20世紀初頭のモロッコでは反乱が頻発していた。フランスは鎮圧のためしばしば出兵したが、実質的な宗主国としてのフランスの地位を確認する行動ともいえるものであった。1907年8月にはフェスでスルタンのムーレイ・アブドゥル・アズィズ4世 (Mulai Abd-al-Aziz IV) の廃位を要求する民衆運動が発生し、これに呼応したムーレイ・アブドゥル・ハーフィズ (Mulai Abd-al-Hafiz) は1908年1月、兄を廃してスルタンの位に就いた。こうした中央の混乱も、フランスの進出を助長した。
第一次モロッコ事件での緊張はアルヘシラス会議によって表面上は解消され、フランスはモロッコに対する影響力を強めた。1908年9月フランス外人部隊の兵士3名がカサブランカでドイツ船に乗って逃走したことから独仏が衝突したが、この時はドイツの譲歩によって1909年2月、両国間にモロッコに関する協定が成立した。これにより、ドイツはモロッコにおいて経済活動のみを行い、モロッコにおけるフランスの政治的優位を認めた。しかし、ドイツの野心はいまだ消えてはいなかったのである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第二次モロッコ事件」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Agadir Crisis 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.