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アギシュムバ : ミニ英和和英辞書
アギシュムバ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アギシュムバ : ウィキペディア日本語版
アギシュムバ

アギシュムバは、紀元2世紀中葉、クラウディオス・プトレマイオスの『地理学』において、アフリカサブサハラにあると言及された土地。プトレマイオスが提示した地理座標に基づく地図を参照すると、ヌビアを除く歴史的スーダンのほぼ全域がアギシュムバとされ、人の住む世界「エクメーネ」の南西端に位置する広大な領域である。
プトレマイオスによると、アギシュムバはフェザーンから南方へ4ヶ月かけて行ったところにあり、サヴァンナの大型動物が棲息し、大きな山がたくさんあるという。〔プトレマイオス『地理学』, IV.8.〕
プトレマイオスは紀元107年から115年の間に書かれたテュロスのマリノスの地理書(現存せず)を参考にしている。マリノスにはレプティス・マグナの商人の旅の記録が記載されており、それによると、紀元83年から92年の間にの王がアギシュムバに進軍したという〔プトレマイオス『地理学』, I.8.〕。ガラマンテス王の軍事行動の目的は、アギシュムバの反抗的な属領に威を示し、進貢関係を再構築しようとしたものと考えられる。
後の歴史家は、(ガラマンテス王が出兵した)アギシュムバの位置をティベスティ山地アイル山地チャド湖近辺などに比定しようと試みたがうまくいっていない。アラブとの交易以前にもトリポリフェザーン、、チャド湖をつなぐサハラ交易が盛んであったことがわかっており、プトレマイオスの記述にも明らかであるため、この地をチャド湖東南域に比定する説が一定の説得力を持つ。
しかしながら、チャド湖近辺には高い山がなく、プトレマイオスの「名もない大きな山がたくさんある」という記述〔プトレマイオス『地理学』, IV.8.〕にはあてはまらない。なお、さらに古い時代の歴史家によると、アギシュムバがフェニキア人の影響を受けて中央スーダン中央アフリカ)に成立した国であることが示唆され、チャド湖東南域説をとる場合、アラビア語で書かれた地理書で「カネム王国」として言及される国の前身であると見なしうるかもしれない。
==脚注==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アギシュムバ」の詳細全文を読む




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