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アクバル・シャー2世 : ミニ英和和英辞書
アクバル・シャー2世[よ, せい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

アクバル・シャー2世 ( リダイレクト:アクバル2世 ) : ウィキペディア日本語版
アクバル2世[あくばる2せい]

アクバル2世Akbar II, 1760年4月22日 - 1837年9月28日)は、北インドムガル帝国の第16代君主(在位:1806年 - 1837年)。アクバル・シャー2世(Akbar Shah II)ともよばれる。第15代君主シャー・アーラム2世の三男。母はクードシヤ・ベーグム
==生涯==

===即位以前と即位===

1760年4月22日、アクバル2世ことミールザー・アクバルは、ムガル帝国の皇帝シャー・アーラム2世とその妃クードシヤ・ベーグムの息子として、リーワーマカンプルで生まれた〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.265〕〔Delhi 19 〕。
当時皇帝だったシャー・アーラム2世には、2人の年長の息子ミールザー・ジャワーン・バフトミールザー・ファルフンダ・バフトがいたが、1781年5月2日にアクバルが皇太子となった〔。これはイギリス東インド会社にも認められた〔。
父帝シャー・アーラム2世の治世はムガル帝国の衰退期であり、父はその衰運の流れを変えようと奮闘したがすべて徒労に終わり、帝国はマラーターシンディア家のもと存続していた〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.261〕。
1788年7月から10月にかけては、アフガン系ローヒラー族の族長グラーム・カーディル・ハーンに首都デリーを占領され、不運にも父や弟のミールザー・スライマーン・シコーミールザー・アフサーン・バフトとともに盲目にされてしまう〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.262〕。
また、マラーターの保護下にあったことで、1803年8月に勃発した第二次マラーター戦争にも巻き込まれ、9月にはデリーはイギリスの保護下に入った(デリーの戦い)〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.263〕。このとき、ミールザー・アクバルはイギリスの司令官ジェラルド・レイクデリー城へと招き入れた〔ガードナー『イギリス東インド会社』、p.200〕。
そして、1806年11月10日、父シャー・アーラム2世の長く不運に満ちた治世が終わり、ミールザー・アクバルが新帝アクバル2世として即位した〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.265〕〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アクバル2世」の詳細全文を読む




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