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アグネス・フォン・ヴァイプリンゲン(ドイツ語:Agnes von Waiblingen、1072年 - 1143年9月24日)はザーリアー朝の皇族。神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と、サヴォイア伯オッドーネの娘ベルタとの間に生まれた娘。ハインリヒ5世の姉。 1089年、シュヴァーベン大公フリードリヒ1世と結婚し、11人の子女をもうけた。 *ハイリツァ(1088年 - 1110年) - エンスドルフ伯フリードリヒ・フォン・レンゲンフェルトと結婚 *ベルタ(1089年 - 1120年) - ラーフェンシュタイン伯アーダルベルト・フォン・エルヒンゲンと結婚 *フリードリヒ2世(1190年 - 1147年) - 皇帝フリードリヒ1世の父親 *ヒルデガルト *コンラート3世(1093年 - 1152年) - ドイツ王 *ギーゼラ *ハインリヒ(1102年没) *ベアトリクス(1098年 - 1130年) *クニグンデ(1100年 - 1120年/1126年) - バイエルン公ハインリヒ10世と結婚 *リヒルデ - ユーグ・ド・ルーシーと結婚 *ゲルトルート - ライン宮中伯ヘルマン・フォン・シュターレックと結婚 1105年にフリードリヒ1世が死んだあと、アグネスはオーストリア辺境伯レオポルト3世と再婚し、11人の子供をもうけた。 *ハインリヒ2世(1107年 - 1177年) *レオポルト4世(1108年頃 - 1141年) *ベルタ - レーゲンスブルク城伯ハインリヒ3世と結婚 *アグネス(1111年 – 1157年) - ポーランド大公ヴワディスワフ2世と結婚、「当代最高の美人の1人」と言われていた *エルンスト(1137年以後に没) *ウータ(1154年没) - ルイトポルト・フォン・プラインと結婚 *オットー(1114年頃 - 1158年) - フライジンク司教、甥である皇帝フリードリヒ1世の伝記を著す。 *コンラート2世(1125年頃 - 1168年) - パッサウ司教、ザルツブルク大司教 *エリーザベト(1143年没) - ヴィンツェンブルク伯ヘルマン2世と結婚 *ゲルトルート(1151年没) - ボヘミア王ヴラディスラフ2世と結婚 *ユディト(1110年代後半/1120年 - 1168年以後) - モンフェッラート侯グリエルモ5世と結婚 『クロスターノイブルク年代記』続編によれば、アグネスはこの他7人の子供を持ったが、死産ないし夭折によって亡くしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アグネス・フォン・ヴァイプリンゲン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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