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アサリユウセンプーは、日本のアングロアラブ競走馬。 == 来歴 == 那俄性哲也が全25戦手綱を執った。 1988年8月13日、福山競馬場(以下、福山)でデビューして初勝利を挙げ、その後9戦無敗を記録。 1989年4月30日に行われた福山ダービー(福山)では、2着のセンコーフアーストに2.2秒差をつける大差勝ちを収めた。同年5月17日の楠賞全日本アラブ優駿(園田競馬場)でも1番人気に支持された。このレースでは、2番人気のセンコーフアースト、3番人気のビクトリームサシが競走を中止するアクシデントがあったが、最低人気(12番人気)の2着ケイエスフアストに3馬身の差をつける圧勝を収め、デビュー以来の無敗記録を8に伸ばした。同年9月24日に行われたA1特別(福山)で2着に敗れ、ここで無敗記録は途絶えたものの、その後、福山市長賞(福山)、鞆の浦賞(福山)を制し、12月3日に行われた西日本アラブダービー(福山)では、2着のフクマルトヨスターに3馬身の差をつけ、またもや圧勝した。 しかしその後長期休養を余儀なくされ、復帰したのは1年後の1990年12月10日に行われたA1特別(福山、2着)。続く1991年1月6日に行われた福山大賞典(福山)では2番人気に支持されながらも、7頭立ての最下位に終わり、初めて着順掲示板を外した。だが、同年2月10日に行われた福山マイラーズカップ(福山)で、2着のトヨクラバイオーに2馬身の差をつけて久々の重賞勝利を収め、同年3月24日に行われたローゼンホーマ記念(福山)でも、2着のムサシボウホマレに2馬身の差をつけて勝った。その後福山で4戦2勝の成績を収め、同年12月5日に行われる全日本アラブ大賞典(大井競馬場、以下 大井)を目指し東上することになった。しかし、東上初戦となった勝島賞(大井、2着)、そして引退レースとなった全日本アラブ大賞典(12着)では、ともにコスモノーブルに敗れた。 引退後、種牡馬となった。主な産駒に、通算46勝を挙げたニホンカイキャロル、中津のアラブ優駿を勝ったケリマコなどがいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アサリユウセンプー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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