|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 勲位 : [くんい] (n) order of merit ・ 位 : [くらい] 1. (n,n-adv,suf,vs) grade 2. rank 3. court order 4. dignity 5. nobility 6. situation 7. throne 8. crown 9. occupying a position 10. about 1 1. almost 12. as 13. rather 14. at least 15. enough to 1
シッスル勲章 (Order of the Thistle)はスコットランドの最高勲章。正式のタイトルは''”The Most Ancient and Noble Order of the Thistle”''。グレートブリテン及び北アイルランド連合王国に於いては、イングランドのガーター勲章に次ぐ2番目に高位の騎士団勲章 (order) である。ヨーロッパの騎士団勲章は中世の騎士団に由来、あるいはその制度に倣った栄典で、騎士団(勲爵士団)へ入団することが栄誉であり、記章はその団員証として授与されるものである〔小川 P 87-119〕。すなわち、この勲章に叙勲されるということは、シッスル騎士団への入団を意味する。 日本語では「アザミ勲章」、「シスル勲章」又は「シッスル騎士団」若しくは「シスル騎士団」、「アザミ騎士団」と表記されることもある。また、現在のものが制定される以前にも同名の勲章が存在していたため、区別するためにその時代のものを”アザミ勲章”と表記している例も見られる〔君塚 p 250〕。 '”The Most Ancient and Noble Order of the Thistle”''。グレートブリテン及び北アイルランド連合王国に於いては、イングランドのガーター勲章に次ぐ2番目に高位の騎士団勲章 (order) である。ヨーロッパの騎士団勲章は中世の騎士団に由来、あるいはその制度に倣った栄典で、騎士団(勲爵士団)へ入団することが栄誉であり、記章はその団員証として授与されるものである〔小川 P 87-119〕。すなわち、この勲章に叙勲されるということは、シッスル騎士団への入団を意味する。 日本語では「アザミ勲章」、「シスル勲章」又は「シッスル騎士団」若しくは「シスル騎士団」、「アザミ騎士団」と表記されることもある。また、現在のものが制定される以前にも同名の勲章が存在していたため、区別するためにその時代のものを”アザミ勲章”と表記している例も見られる〔君塚 p 250〕。 '。グレートブリテン及び北アイルランド連合王国に於いては、イングランドのガーター勲章に次ぐ2番目に高位の騎士団勲章 (order) である。ヨーロッパの騎士団勲章は中世の騎士団に由来、あるいはその制度に倣った栄典で、騎士団(勲爵士団)へ入団することが栄誉であり、記章はその団員証として授与されるものである〔小川 P 87-119〕。すなわち、この勲章に叙勲されるということは、シッスル騎士団への入団を意味する。 日本語では「アザミ勲章」、「シスル勲章」又は「シッスル騎士団」若しくは「シスル騎士団」、「アザミ騎士団」と表記されることもある。また、現在のものが制定される以前にも同名の勲章が存在していたため、区別するためにその時代のものを”アザミ勲章”と表記している例も見られる〔君塚 p 250〕。 == 歴史 == その制定日時は定かではない。伝説の一つでは、809年にスコットランドのアカイウス王 (Achaius) がシャルルマーニュ帝との同盟に際して設けたとされている〔英王室公式サイト 〕。809年説には更に、ウェスト・サクソン王との戦いの前夜、アカイウス王の夢にセント・アンドリュー(聖アンデレ)が現れ、翌日の戦いに勝利したことから、これを記念して制定されたとの説もある。そして、現行勲章の守護聖人もセント・アンドリューとなっている〔君塚 p 250〕。 一方、アザミをスコットランドの国花に制定したジェームズ3世が勲章も制定したという可能性も否定できないともされている。1535年には孫のジェームズ5世がフランス王フランソワ1世 へ''”Order of the Burr or Thissil”''を贈ったという記録が残っている〔。 しかし、これらは正式な記録がないことから、あくまでも伝説に過ぎないとの見方もある〔森 「あざみ勲章」の項〕。 また、15世紀から16世紀、あるいはそれ以前からスコットランドには複数の勲章が存在していたが、そのうちのアカイウス王が制定した”セント・アンドリュー勲章”とジェームズ3世が制定した”アザミ勲章”が1687年に統合されてシッスル勲章となったという説もある〔君塚 p 250〕。その後スコットランドの勲章は、宗教改革 (Scottish Reformation) 期には運用が停止されていた〔。 1687年、イングランド・スコットランド・アイルランド王ジェームズ2世(スコットランド王としてはジェームズ7世)は、スコットランドの栄典制度を全面的にリニューアルし、シッスル勲章が正式に制定された。そして、政治及び宗教に関して国王(カトリック)に与するスコットランド貴族へ贈られた。しかし、翌年の名誉革命によるジェームズ2世の廃位に伴い、シッスル勲章は一旦廃止された。 1703年、アン女王によってシッスル勲章は復活した。そして、初期のハノーヴァー朝においては、プロテスタントに与したスコットランド貴族への報酬として利用された。一方ジャコバイト側でも1715年と1745年の反乱の際、老僭王と若僭王親子によりシッスル勲章の叙勲が行われた。 1822年、ジョージ4世が英国王としてはジャコバイトの乱以降始めてスコットランドを訪問した。この際国王が着用したことにより、シッスル勲章の権威は復活した。1827年、ジェームズ2世以来12名だった騎士団の定員が16名に増やされた。 File:James III, King of Scotland.png|ジェームズ3世 File:James V of Scotland.png|ジェームズ5世 File:James II (headshot).jpg|ジェームズ2世 File:Annavon GroßbritannienDahl.jpg|アン女王 '”Order of the Burr or Thissil”''を贈ったという記録が残っている〔。 しかし、これらは正式な記録がないことから、あくまでも伝説に過ぎないとの見方もある〔森 「あざみ勲章」の項〕。 また、15世紀から16世紀、あるいはそれ以前からスコットランドには複数の勲章が存在していたが、そのうちのアカイウス王が制定した”セント・アンドリュー勲章”とジェームズ3世が制定した”アザミ勲章”が1687年に統合されてシッスル勲章となったという説もある〔君塚 p 250〕。その後スコットランドの勲章は、宗教改革 (Scottish Reformation) 期には運用が停止されていた〔。 1687年、イングランド・スコットランド・アイルランド王ジェームズ2世(スコットランド王としてはジェームズ7世)は、スコットランドの栄典制度を全面的にリニューアルし、シッスル勲章が正式に制定された。そして、政治及び宗教に関して国王(カトリック)に与するスコットランド貴族へ贈られた。しかし、翌年の名誉革命によるジェームズ2世の廃位に伴い、シッスル勲章は一旦廃止された。 1703年、アン女王によってシッスル勲章は復活した。そして、初期のハノーヴァー朝においては、プロテスタントに与したスコットランド貴族への報酬として利用された。一方ジャコバイト側でも1715年と1745年の反乱の際、老僭王と若僭王親子によりシッスル勲章の叙勲が行われた。 1822年、ジョージ4世が英国王としてはジャコバイトの乱以降始めてスコットランドを訪問した。この際国王が着用したことにより、シッスル勲章の権威は復活した。1827年、ジェームズ2世以来12名だった騎士団の定員が16名に増やされた。 File:James III, King of Scotland.png|ジェームズ3世 File:James V of Scotland.png|ジェームズ5世 File:James II (headshot).jpg|ジェームズ2世 File:Annavon GroßbritannienDahl.jpg|アン女王 'を贈ったという記録が残っている〔。 しかし、これらは正式な記録がないことから、あくまでも伝説に過ぎないとの見方もある〔森 「あざみ勲章」の項〕。 また、15世紀から16世紀、あるいはそれ以前からスコットランドには複数の勲章が存在していたが、そのうちのアカイウス王が制定した”セント・アンドリュー勲章”とジェームズ3世が制定した”アザミ勲章”が1687年に統合されてシッスル勲章となったという説もある〔君塚 p 250〕。その後スコットランドの勲章は、宗教改革 (Scottish Reformation) 期には運用が停止されていた〔。 1687年、イングランド・スコットランド・アイルランド王ジェームズ2世(スコットランド王としてはジェームズ7世)は、スコットランドの栄典制度を全面的にリニューアルし、シッスル勲章が正式に制定された。そして、政治及び宗教に関して国王(カトリック)に与するスコットランド貴族へ贈られた。しかし、翌年の名誉革命によるジェームズ2世の廃位に伴い、シッスル勲章は一旦廃止された。 1703年、アン女王によってシッスル勲章は復活した。そして、初期のハノーヴァー朝においては、プロテスタントに与したスコットランド貴族への報酬として利用された。一方ジャコバイト側でも1715年と1745年の反乱の際、老僭王と若僭王親子によりシッスル勲章の叙勲が行われた。 1822年、ジョージ4世が英国王としてはジャコバイトの乱以降始めてスコットランドを訪問した。この際国王が着用したことにより、シッスル勲章の権威は復活した。1827年、ジェームズ2世以来12名だった騎士団の定員が16名に増やされた。 File:James III, King of Scotland.png|ジェームズ3世 File:James V of Scotland.png|ジェームズ5世 File:James II (headshot).jpg|ジェームズ2世 File:Annavon GroßbritannienDahl.jpg|アン女王 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シッスル勲章」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Order of the Thistle 」があります。 スポンサード リンク
|