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アストニア作戦 : ミニ英和和英辞書
アストニア作戦[あすとにあさくせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さく]
  1. (n,n-suf) a work 2. a harvest 
作戦 : [さくせん]
 【名詞】 1. military or naval operations 2. tactics 3. strategy 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

アストニア作戦 : ウィキペディア日本語版
アストニア作戦[あすとにあさくせん]

アストニア作戦(英:Operation Astonia)は第二次世界大戦中の1944年9月10日から12日に行なわれた西部戦線中の戦闘のうちのひとつである。連合国軍の作戦目標はドイツ国防軍が占領していたル・アーヴル港の奪還だった。要塞となっていたル・アーヴルへの攻撃についてバーナード・モントゴメリー元帥は「大西洋の壁(Atlantic Wall)の中で最強だったもののひとつであった〔〔Montgomery, p. 134〕」と記して、この作戦がカナダ及びイギリス装甲部隊と海軍及び航空機部隊の参加による三軍協同作戦となり、最初の攻撃から3日以内に要塞を陥落させたことが「協同作戦行動のモデルだった」とした〔。
== 背景 ==
1944年6月6日連合国軍はフランス北部の海岸に上陸しフランス解放を目的とした「オーバーロード作戦」を開始した。これに続く侵攻計画は連合国軍将兵の補充と物資の供給を可能にするためにフランス沿岸部の4箇所の港の確保を要求するものだった。最初の港ディエップは1944年9月1日にカナダ第2歩兵師団により解放され(フュージレイド作戦)、ル・アーヴルが次の目標に選ばれた〔。
ル・アーヴルは「大西洋の壁」の要塞群の中でも最強のもののひとつと推測されていて、主要部の南、東及び西が河口と海で敵の侵入を妨げる自然の要害となっていた〔。港の北側は、すべての進入口に深さ6-7メートル幅3メートルの対戦車濠がめぐらされ、対戦車砲機関銃を備えたトーチカと1,500個の地雷が敷設されていた〔。攻撃前の情報では、市内には7,300から8,700人の間で将兵が駐屯し、その内砲兵部隊が4,000人、海軍兵が1,300人で残りは低練度の歩兵と第36擲弾兵連隊の内の1個大隊の混成部隊と推測された〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アストニア作戦」の詳細全文を読む




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