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アストンマーティン・AMR1は1989年世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)およびル・マン24時間レース参戦用のアストンマーティンのグループCカーである。 == 概要 == 過去ニムロッド、エムカ、チータと言ったコンストラクター製のグループCカーにアストンマーティン製エンジンを搭載し、世界耐久選手権(WEC)に参戦したことがあったが、このAMR1はアストンマーティンの公式なワークスマシンである。メインスポンサーにはモービルが付いた。 1987年WSPCグループC2チャンピオンのエキュリー・エコッセ製シャシにアストンマーティン製5,998 ccV型8気筒エンジンを搭載する。 1989年WSPCは全戦参加が義務付けられたため、デビュー戦は本来開幕戦の鈴鹿になる予定であった。しかし開幕前のテストでクラッシュし、鈴鹿は欠場する。このためアストンマーティンは国際自動車連盟(FIA)に25万ドルの罰金を払うことになる。 実質デビュー戦はWSPC第2戦ディジョン。17位で完走している。2戦目となるル・マン24時間レースでは2カーエントリー。1台が11位で完走と健闘する。第4戦地元ブランズ・ハッチでは、4位に入賞する大健闘。このシーズンは年間ランキング6位とまずますの成績を残す。 本来であれば、翌1990年シーズンをこのAMR1の改良型で臨み、カテゴリー1(3.5リットル自然吸気エンジン搭載車)に統一される1991年シーズンには、トニー・サウスゲートデザインのシャシに親会社フォードのF1エンジンであるV型8気筒のフォード・コスワース・HBエンジンを搭載したマシンで参戦する予定であった。しかし1989年にWSPCでのライバルであるジャガーがフォードに買収され、同門対決を避けたいフォードの意向により、アストンマーティンワークスチームは1990年突如解散することになる。 アストンマーティンのワークスプロトタイプが復活するには、2009年のローラ・アストンマーティン B09/60の登場まで待たなければならなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アストンマーティン・AMR1」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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