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アスファルト()もしくは土瀝青(どれきせい)とは、原油に含まれる炭化水素類の中で最も重質のものである。減圧蒸留装置で作られた減圧残油はそのまま製品アスファルトとなり、ストレート・アスファルトと呼ばれる。 ストレート・アスファルトの性状を改善するため、溶剤抽出(溶剤脱瀝)や空気酸化(ブローン・アスファルト製造)などの処理を行うこともある。粘度の高い液体(ピッチ)であり、常温ではほとんど流動しないものが多い。道路の舗装や防水剤などに使われる。ただし、常温で使用できるようにストレート・アスファルトを灯油や軽油でカットバックさせたカットバック・アスファルトもあるが、日本では統計上ストレート・アスファルトに含まれている。 なお、日本やアメリカ等では石油を精製して採れた減圧重質油をアスファルトと呼ぶのに対し、ヨーロッパではビチューメンと呼び、このビチューメンに骨材や砂などを混合したものをアスファルト(日本ではアスファルト混合物またはアスファルト合材)と呼んでいる。したがって、ヨーロッパの技術論文を読む際には注意が必要となる。なぜこのように呼称が違ったのか不明であるが、おそらくは、アスファルトの種類が増えたことが原因ではないかと考えられる。 トリニダード・トバゴでは純度の高いアスファルトが天然で噴出し、湖を形成するという稀なケースが見受けられる。これは、地中の原油から揮発成分が蒸発し、アスファルト分のみが残ったものと考えられる。→(ピッチ湖) == 歴史 == 天然のアスファルトは瀝青(ビチューメン)と呼ばれ、古代から使用されてきた事がわかっている。紀元前3000年頃の古代エジプトでは、ミイラの防腐剤としても使用された〔〕。 天然アスファルトは主に接着剤として使われ、旧約聖書の『創世記』ではバベルの塔の建設にアスファルトの使用が記述されている〔創世記11章3節〕。アスファルトという単語が英語に現れたのは原油の利用が一般的になり始めた18世紀に至ってからである。このため、英語においてもギリシア語の(asphaltos)からの外来語であった。a(しない)とsphalt(落とす)という意味がある。 日本では縄文時代後期後半から晩期にかけて、日本海側の秋田県や山形県、新潟県などで産出した天然アスファルトを熱して石鏃(せきぞく:石の矢じり)や骨銛(こつせん:骨のモリ)など漁具の接着、縄文後期の秋田県横手市・八木遺跡の事例として網漁に用いる石錘と漁網の接着〔田井中洋介「石錘による網漁」『縄文時代の考古学5 なりわい 食料生産の技術』(同成社、2007年)、pp.159 - 160〕、破損した土器や土偶の補修、漆器の下塗りなどに利用された。産出地のほか関東地方でもアスファルトの付着した遺物が出土し、黒曜石やヒスイなどとともに縄文時代の交易を示す史料になっている。これらは明治期に佐藤伝蔵による東京大学人類学教室の資料調査において発見され、佐藤初太郎によってアスファルトである事が確認された。藤森峯三は秋田県昭和町(現潟上市昭和)において縄文時代のアスファルト産出地を確認し、現在では原産地を特定する技術により広域に流通していたことが判明している。 日本書紀には、668年に「燃ゆる土」が越の国から天智天皇に献上されたとの記録があるが、これはアスファルトであるとも言われる。 日本で初めてアスファルト舗装が施されたのは長崎県長崎市のグラバー園内の歩道であるといわれているが、成分分析が行われていないため定かではない(輸入品で舗装されたもよう)。したがって、一般的には明治11年東京神田昌平橋に舗装されたのが最初であるとされている。使用されたのは秋田県(現在の潟上市)からはるばる運ばれた天然アスファルトであった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アスファルト」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Asphalt 」があります。 スポンサード リンク
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