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アスペルン・エスリンクの戦い(アスペルン・エスリンクのたたかい, 英:Battle of Aspern-Essling, 仏:Bataille d'Aspern-Essling, 1809年5月21日 - 5月22日)は、ナポレオン戦争における戦闘の1つ。ウィーン近郊のドナウ河畔で、カール大公率いるオーストリア軍が、皇帝ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍に勝利した。ナポレオンが直接指揮する軍が敗北した数少ない戦闘例の1つでもある。 ナポレオンにとっては、兵員の損失もさることながら、最も信頼する部下ジャン・ランヌが戦死するという辛い敗北であった。一方、ナポレオンに勝利したカール大公はオーストリアの国家的英雄として称えられた。 == 背景 == 1809年4月9日、オーストリア帝国はイギリスと第五次対仏大同盟を結び、同日、カール大公率いる20万のオーストリア軍主力がバイエルンへの侵攻を開始した。ナポレオンは直ちにライン同盟駐留のフランス軍部隊を集結させて反撃に転じ、4月22日のエックミュールの戦いでオーストリア軍主力を撃破した。カール大公はドナウ川の北岸へ退却した。 ナポレオンはドナウ川南岸を東進し、5月13日にオーストリアの首都ウィーンに無血入城した。カール大公もオーストリア軍をドナウ川の対岸に集結させ、決戦の構えとなった。ドナウ川に架かる橋梁はオーストリア軍が全て破壊しており、フランス軍は渡河点として、ドナウ川の流れが細い支流に分かれている中州のロバウ島の周辺地域を選んだ。5月19日から20日にかけてドナウ川南岸からロバウ島までの仮橋が建設され、20日夕刻までに大部隊がロバウ島へ渡った。20日夕刻から、フランス軍は対岸に通じる最後の架橋工事に入った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アスペルン・エスリンクの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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