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アズマー・ネルソン : ミニ英和和英辞書
アズマー・ネルソン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アズマー・ネルソン : ウィキペディア日本語版
アズマー・ネルソン[ちょうおん]

アズマー・ネルソンAzumah Nelson1958年9月19日 - )は、ガーナプロボクサーアクラ出身。身長165cm。元WBC世界フェザー級スーパーフェザー級の世界2階級制覇王者。
歴代軽量級ボクサーの中で最強の呼び声が高いボクサーの1人。抜群の身体能力を活かした強打とスピードだけではなく、堅実なテクニックを兼ね備えたコンプリートファイターでウィルフレド・ゴメスジェフ・フェネックらボクシング界に名を残す強豪を次々に打ち破っていった。当初は大振りなパンチを振るうことから「アフリカの野生児」と呼ばれていたがキャリアを重ねるにつれ、細かいテクニックを習得していっている。さらに、アフリカ系ボクサーは享楽的短命な王者が多いとされる中でもかなりの頭脳派であり、素質に溺れることなく、普段から自己節制と練習を怠らなかったことから、周囲から尊敬を込めて「プロフェッサー」(教授)の異名をとった。
== 来歴 ==
1979年12月1日、プロデビュー。
1980年3月3日、3戦目でガーナフェザー級王座を獲得した。
1981年9月26日、10戦目で英連邦フェザー級王座を獲得した。
1982年7月21日、14戦目でWBC世界フェザー級王者サルバドル・サンチェスに挑戦。15回TKO負けで王座獲得に失敗するとともにキャリア初黒星となった。サンチェスは8月12日に自動車事故により死去したため、最後の対戦相手となった。
1984年12月8日、21戦目でWBC世界フェザー級王者ウイルフレド・ゴメスに挑戦し、11回KO勝ちで世界王座を獲得した。
1986年2月25日、フェザー級王座防衛戦でマルコス・ビジャサナと対戦し、12回判定勝ちで3度目の防衛に成功した。1987年8月29日、ビジャサナと再戦し、12回判定勝ちで6度目の防衛に成功した。その後、同王座は返上した。
1988年2月29日、1階級上のWBC世界ジュニアライト級王座決定戦でマリオ・マルチネスと対戦し、12回判定勝ちで2階級制覇に成功した。
1989年11月5日、ジュニアライト級王座防衛戦でジム・マクドナルと対戦し、12回KO勝ちで4度目の防衛に成功した。
1990年5月19日、ジュニアライト級王座を保持したまま1階級上のWBC世界ライト級王者パーネル・ウィテカーに挑戦し、12回判定負けで3階級制覇に失敗した。
1990年10月13日、ジュニアライト級王座防衛戦でファン・ラポルテと対戦し、12回判定勝ちで5度目の防衛に成功した。
1991年6月28日、ジュニアライト級王座防衛戦でジェフ・フェネックと対戦し、12回判定ドローで6度目の防衛に成功した。1992年3月1日、フェネックと再戦し、8回TKO勝ちで7度目の防衛に成功した。
1992年11月7日、ジュニアライト級王座防衛戦でカルビン・グローブと対戦し、12回判定勝ちで8度目の防衛に成功した。1993年2月20日、ガブリエル・ルエラスと対戦し、12回判定勝ちで9度目の防衛に成功した。
1993年9月10日、ジュニアライト級王座防衛戦でジェシー・ジェームズ・レイハと対戦し、12回判定ドローで10度目の防衛に成功した。1994年5月7日、11度目の防衛戦でレイハと再戦し、12回判定負けで王座から陥落した。
1995年12月1日、WBC世界ジュニアライト級王座をレイハから奪取したガブリエル・ルエラスに挑戦し、5回TKO勝ちで王座に返り咲いた。
1996年6月1日、ジュニアライト級王座防衛戦でラバーマッチとなったレイハと対戦し、6回TKO勝ちで初防衛に成功した。
1997年3月22日、2度目の防衛戦でヘナロ・エルナンデスと対戦し、12回判定負けで王座から陥落した。
1998年7月11日、IBA世界ライト級王座決定戦で4度目の対戦となったレイハと対戦し、12回判定負け。レイハとは1勝2敗1分けとなった。この試合を最後に引退した。
10年後の2008年6月24日、復帰戦でジェフ・フェネックと16年ぶりのラバーマッチを行い、判定負け。フェネックも12年ぶりの復帰戦であった。通算戦績は1勝1敗1分となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アズマー・ネルソン」の詳細全文を読む




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