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アゼルバイジャン国民政府(アゼルバイジャンこくみんせいふ、, )は、1945年から翌1946年まで、イラン北部のアーザルバーイジャーンで存在を主張したアゼルバイジャン自治共和国(アゼルバイジャンじちきょうわこく、)の政府である。 第二次世界大戦期にイラン進駐を行った赤軍の庇護下で、系のによって形成された。当初はの地位向上を訴えるに留まっていた国民政府であったが、やがては民族自決を主張して独自の軍を編制するなど、イランからの分離を疑われる活動までも開始した。後期には中央政府との和解も果たされたが、やがて中央政府が政策を右傾化させたため国軍の侵攻を受け、さらには支持母体であったソビエト連邦からもイランでの石油利権と引き換えに見放され、発足から1年で崩壊した。 == 沿革 == === 背景 === 1939年9月に第二次世界大戦が勃発した際、パフラヴィー朝の治めるイランは同月中に中立宣言を発した〔岡部 (1960) 53-54頁〕。しかし、1941年6月に独ソ戦が始まると、軍事協定 (en) を締結していたイギリス=ソビエト連邦両国にとって、イランはペルシア湾からカフカースを結ぶ輸送路(ペルシア回廊)としての意味を持つようになった〔。加えて、かねてから親独的であったレザー・シャーは英ソ両国によるドイツ人の国外追放要求を拒否したため、イギリス軍と赤軍はこれに対する制裁として、8月にイランへ侵攻を開始〔。イランはほぼ無抵抗のまま両軍に全土を制圧され、レザー・シャーも翌月には退位に追い込まれた〔。 シャーの退位はイランの独裁と中央集権制を揺るがし、地主や遊牧民、労働者まで様々な社会勢力が活動を開始する契機となった〔德増 (1998) 211頁、213頁〕。しかし同時に、英ソ軍(後には米軍も加わった)の駐留は物価の急騰をもたらし、イラン社会には混乱が渦巻いた〔。1941年9月には左翼政党のが結成され、赤軍占領下イラン北部のアーザルバーイジャーンから、イラン全土へと急速に影響力を増しつつあった〔。この地域は、北側ソ連との国境を越えたソビエト・アゼルバイジャンと同じくアゼルバイジャン人が人口の多数を占めていたが、パフラヴィー朝の中央集権制とイラン・ナショナリズムにより、地理的・経済的地位が低い状態にあった〔德増 (1998) 209-210頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アゼルバイジャン国民政府」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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