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アチラノ・リベラ : ミニ英和和英辞書
アチラノ・リベラ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アチラノ・リベラ ( リダイレクト:アデラーノ・リベラ ) : ウィキペディア日本語版
アデラーノ・リベラ

アデラーノ・リベラ(''Adelano Rivera'', 1910年 - 1945年2月10日)は、フィリピン出身のプロ野球選手。右投右打。
== 来歴・人物 ==
1939年1月に、東京巨人軍(現・読売ジャイアンツ)のマニラ遠征にて対戦したマニラ税関チームの主将・4番を務め、ヴィクトル・スタルヒンを打ち崩す。
その後巨人に入団。日本球界史上唯一のフィリピン人選手〔ベースボールマガジン、2011年9月号 P96〕。背番号は20。5番で打席に立ち、戦前のプロ野球で上位に入る6本塁打を放つ。8月24日には巨人における球団史上初の満塁本塁打を打った〔。同年限りで帰国し、その後の消息は長らく不明となっていたが、フィリピンで現地人による野球チームを組織し、1944年1月30日にはフィリピンに出征していた巨人の元投手広瀬習一などによる軍人野球チーム「日本人倶楽部」と対戦し、広瀬と巨人時代の思い出を語り合ったことなどが広瀬が現地から日本に出した手紙に記されている〔「戦火に消えた幻のエース 巨人軍 広瀬習一の生涯」上田 龍〕。
1967年ユニバーシアード東京大会にリベラの娘2人がバレーボールフィリピン学生代表選手として来日した際、当時巨人軍監督だった川上哲治が面会し、リベラについて尋ねたところ、「父は税関吏として働いた後フィリピン独立義勇軍に身を投じ、日本軍と戦い戦死した」ことが、川上に伝えられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アデラーノ・リベラ」の詳細全文を読む




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