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アッサリフ・イスマイル・アルマリク(1164年 - 1181年)は、シリアを支配したセルジューク朝系のアタベク政権であるザンギー朝の第3代君主(在位:1174年 - 1181年)。 第2代君主・ヌールッディーン・マフムードの子。父のヌールッディーンが1174年に急死したため、わずか11歳で後を継いだ。だが、幼主が後を継いだことでモースルのサイフッディーン・ガーズィー2世、十字軍からの侵攻が一転して激しくなり、やむなく居所をダマスカスからアレッポに移した。主のいなくなったダマスカスには、アッサリフ(サリーフ)の後見人イブン・アルムカッダムの要請によってアイユーブ朝のサラーフッディーン(サラディン)が入城した。 アレッポに入ったサリーフはトルコ人将軍グムシュテギーンの保護下に置かれ、グムシュテギーンはサラディンに対する不満分子を糾合、モースルと連合してサラディンと対立した。1175年春サラディンはアレッポ・モースルの連合軍に勝利し、同年にアッバース朝のカリフ、ムスタディーがサラディンのエジプト・シリアの支配を承認すると、サラディンはサリーフからの独立の意思を表明した。 1181年に18歳の若さで死去した。 ==参考文献== * 佐藤次高『イスラームの「英雄」サラディン―十字軍と戦った男』(講談社選書メチエ, 講談社.1996年5月) * 大塚和夫等編『岩波イスラーム辞典』(岩波書店.2002年2月) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アッサリフ・イスマイル・アルマリク」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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