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アス(、複数形 、〔http://bibleencyclopedia.com/farthing.htm, retrieved 2009-07-07〕)は、共和政ローマからローマ帝国までの時代に使われていた硬貨で、当初は青銅貨だったが後に銅貨になった。 == 共和政ローマ時代のアス硬貨 == 「アス」は紀元前280年ごろ共和政時代の大型鋳造青銅貨として登場した。アスより小額の硬貨として、ベス(、2/3アス)、セミス(、1/2アス)、クィンクンクス(、5/12アス)、トリエンス(、1/3アス)、クォドランス(、1/4アス)、セクスタンス(、1/6アス)、ウンキア(、1/12アス、重さの単位でもある)、セムンキア(、1/24アス)があり、アスより高額の硬貨として、デュポンディウス(、2アス)、セステルティウス(、2.5アス)、トレッシス(、3アス)、クァドルッシス(、4アス)、クィンクェッシス(、5アス)、デナリウス(、10アス)があった。 アスが鋳造貨として発行されるようになって70年たったころ、その重量を数段階かけて減らし、6分の1ポンド () とした。ほぼ同じころ、銀貨のデナリウスも発行されるようになった。それ以前のローマの銀貨は南イタリアやアドリア海を越えてギリシアでも使えるように、ギリシアの重量単位にあわせて作られていたが、それ以降のローマの硬貨は全てローマの重量単位にあわせて作られるようになった。当初デナリウスは10アスとされたが、紀元前140年ごろ16アス相当に変更された。これはポエニ戦争の戦費を賄うための政策だったと言われている。 共和政時代を通して、アスの表面にはヤーヌスの胸像、裏面にはガレー船の船嘴が描かれていた。アス貨の重量は硬貨の重量の基本単位とされており、これをlibralと呼ぶ。libralそのものが後に減らされ、それにあわせてアス貨も軽くなった。共和政時代の青銅貨は当初鋳造で作られていたが、後に軽くなった際に打ち出しに変更された。一時期、アス貨が全く造幣されない時期があった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アス (青銅貨)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 As (Roman coin) 」があります。 スポンサード リンク
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