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アッシュリア属州(アッシュリアぞくしゅう、)は、116年から118年までのわずか2年間のみ設置されたローマ帝国の属州である。アッシュリア属州を治めていた総督の名が知られておらず属州設置の直後に反乱が起こっていることからローマ帝国の直接的な統治は届いていなかったものと見られており、属州としての実体はなかったと考えられている。 == 歴史 == 113年にローマ皇帝トラヤヌスはアルサケス朝パルティア(現代のイラク)への軍事作戦に成功し(第五次パルティア戦争)〔Trajan's Parthian War and the Fourth-Century Perspective Author(s): C. S. Lightfoot Source: The Journal of Roman Studies, Vol. 80 (1990), pp. 115-126.〕、116年までにアッシュリア属州、アルメニア属州、メソポタミア属州の3属州を設置した。ローマの軍事的勝利にもかかわらず、属州の運営は当初から困難を伴った。116年、Santrucesという名のパルティア人の王子はこの新しいローマ属州の地元民による武装反乱を組織した。反乱の間、アッシュリアとメソポタミアに駐屯するローマ軍は彼らの駐屯地から追い出され、反乱の鎮圧に失敗したローマ軍の将軍は殺された〔David Magie, ''Roman Rule in Asia Minor to the End of the Third Century After Christ'', Princeton, NJ: Princeton University Press, 1950: p. 609.〕。117年にトラヤヌスが死亡すると、彼の後継者であるハドリアヌスは直近に獲得したばかりであった東方の3属州に関する新たな方針を実行した。ハドリアヌスは帝国が膨張しすぎであると考え、より容易に防衛できる国境線とするためにローマの支配を撤回しようとした〔Charles Freeman, ''The World of the Romans'', New York: Oxford University Press, 1993: p. 62.〕。その結果、118年にハドリアヌスはトラヤヌスの設置した3属州から撤退した〔''The Cambridge Ancient History, Volume XI'', London: Cambridge University Press, 1970: p. 640.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アッシュリア属州」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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