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アッシュール・ウバリト1世 : ミニ英和和英辞書
アッシュール・ウバリト1世[あっしゅーるうばりと1せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

シュール : [しゅーる]
  1. (adj,n) surreal 2. surrealism 3. (P), (adj,n) surreal/surrealism
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

アッシュール・ウバリト1世 : ウィキペディア日本語版
アッシュール・ウバリト1世[あっしゅーるうばりと1せい]
アッシュール・ウバリト1世Ashur uballit、在位:紀元前1365年 - 紀元前1330年)は、中アッシリア王国時代のアッシリアである。彼の治世はアッシリア史において数百年ぶりにまとまった記録が残る事と、ミタンニの圧力から解放された事で非常に重要である。
なお在位年は一説によれば紀元前1363年紀元前1328年である。
== 来歴 ==
アッシュール・ウバリト1世は、エリバ・アダド1世の息子として生まれた。彼は長期間にわたってアッシリアの上に君臨していたミタンニ王国を、紀元前1340年頃、ヒッタイトスッピルリウマ1世の攻撃にあわせて攻撃し、その首都ワシュカンニを占領する事に成功した。
今までアッシリアはアッカドウルなどに支配され、その度に独立を繰り返した歴史を持つが、このアッシュール・ウバリト1世によってアッシリアは完全に独立を果たした。そのため、ここから後の大国としてのアッシリアの歴史が始まると言われる。
ミタンニの打倒によって自信を深めたアッシュール・ウバリト1世はエジプト宛の外交文書において、エジプト王アメンホテプ4世(アクエンアテン)を「我が兄弟」と呼んだ。当時、大国(バビロニア、エジプト、ヒッタイト、ミタンニ、アラシヤ)の王に対する外交書簡(アマルナ文書)において、この呼び方が認められたのは同じ大国の王のみであり、アッシュール・ウバリト1世がこの文言を採用した事はアッシリア史における転機と言える。また他の手紙の中で彼は、自分の父親を実父のエリバ・アダドではなく、アッシュール・ナディン・アヘ2世と書いている。バビロニア王ブルナ・ブリアシュ2世はこれに不快感を示し、アッシリアを自らの臣下として相手にしないようにエジプトへ忠告している。
だがアッシュール・ウバリト1世はその後、紀元前1333年にバビロニア(カッシート朝)の王ブルナブリアシュ2世が死去したのに乗じて、バビロニアの王位継承問題に介入し、自分の曾孫に当たるクリガルズ2世をバビロニア王位に付ける事に成功し、これが後のアッシリアによるバビロニア介入への第一歩となった。
彼の死後、エンリル・ニラリがアッシリア王位を継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アッシュール・ウバリト1世」の詳細全文を読む




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