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アッパー半島 : ミニ英和和英辞書
アッパー半島[あっぱーはんとう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [はん]
  1. (n,n-adv,n-suf,n-pref) half 
半島 : [はんとう]
 【名詞】 1. peninsula 
: [しま]
 【名詞】 1. island 

アッパー半島 : ウィキペディア日本語版
アッパー半島[あっぱーはんとう]

アッパー半島Upper Peninsula)は、アメリカ合衆国ミシガン州北西部を形成する半島。正式な名称は''Upper Peninsula of Michigan''(ミシガン州のアッパー半島)というが、単に''Upper Peninsula''、''Upper Michigan''、または''The U.P.''と呼ぶことのほうが多い。また''Land above the Mackinac''(マキノー海峡()の上の地)と呼ぶこともある。同半島は北にスペリオル湖、南にミシガン湖およびヒューロン湖と、五大湖のうちの3つの湖に囲まれている。東側にはミシガン州とカナダオンタリオ州との国境をなすが流れている。西側は地続きでウィスコンシン州北部とつながっている。アッパー半島とロウアー半島を隔てるマキノー海峡には長さ約8kmのマキノー橋が架かっている。
アッパー半島はミシガン州の中では田舎とされる地域である。同半島の面積は州土の約1/3を占めるにもかかわらず、そこには州の総人口のわずか3%が住んでいるのみである。ロウアー半島には全米有数の大都市であるデトロイトや州都ランシングなど州の主要都市が集中しているのに対し、アッパー半島はその最大都市であるマーケットでも人口2万人強である。マーケットのほかに人口1万人を超えるアッパー半島の都市はスーセントマリーとの2つだけである。アッパー半島の住民は''U.P.-ers''の転訛で「ユーパーズ」(''Yoopers'')と呼ばれている。
気候土壌農業に適さないため、アッパー半島の経済は主に林業鉱業で支えられてきた。1890年代から1920年代にかけては特に鉱業が盛んで「黄金時代」と呼ばれたが、その後多くの鉱山は閉山した。現在では州のほとんどは森林で覆われ、伝統の林業に加えて、自然環境と夏の涼しさを生かして発展してきた観光業が地域の経済を支えている。
==歴史==
判明しているうち最古のアッパー半島の住民は、800年頃にこの地に住み着いていたネイティブ・アメリカンのである。彼らは主に漁をして生活の糧を得ていた。初めてヨーロッパ人がこの地に足を踏み入れたのは1620年頃であった。初期の入植者は主にフランス人で、ネイティブ・アメリカンとの毛皮の取引所を半島のあちこちに建てていた。1763年フレンチ・インディアン戦争が終わると、アッパー半島の領有権はイギリスに移った。

それまでこの地域に入植していたフランス人はネイティブ・アメリカンを対等に扱ってきたのに対し、イギリス人はネイティブ・アメリカンを被征服民として扱った。そのため、イギリスの支配力が増すにつれて、この地域のネイティブ・アメリカンたちは次第に不満を感じていくようになった。こうした不満は、ポンティアックの反乱ロウアー半島北端、現在のにあったが攻撃されたことにも現れている。ミシリマキナノー砦はマキノー海峡をはさんでロウアー半島北部とアッパー半島東部にまたがっていたミシリマキノー地域における、イギリス軍の主要な砦であった。
アッパー半島は独立戦争後、1783年パリ条約によってアメリカ合衆国領とされたが、イギリスによる実質的な支配は1797年ジェイ条約が締結されるまで続いた。アメリカ合衆国領となっても、アッパー半島の経済は毛皮の取引によって支えられていた。ドイツ移民の実業家ヨハン・ヤコブ・アストルは、1808年マキノー島にを設立した。しかし、1830年代に入るとアッパー半島における毛皮取引は下火となっていった。

1805年ミシガン準州が設置されたときは、準州土にはロウアー半島こそ全域が含まれていたものの、アッパー半島は東部しか含まれていなかった。1819年に準州土は広げられ、アッパー半島の全域のみならず、それまでインディアナ準州イリノイ準州に含まれていた現在のウィスコンシン州の全域やミシシッピ川以東のミネソタ州もミシガン準州に含められた。1833年にはさらに拡大され、現在のミネソタ州の全域、アイオワ州の全域、ミズーリ川以東のノースダコタ州サウスダコタ州もミシガン準州に含められた。しかし1836年、ミシガン準州は州昇格に備え、準州域を1805年の設立当時の準州域に戻し、残りをウィスコンシン準州として分割したため、ミシガン準州に含まれるアッパー半島の領域は東部のみとなった。このとき、アッパー半島を完全にミシガン準州から切り離す案もあった。一方、ミシガン準州の南のほうでは、先に州に昇格していたオハイオ州との間でトレド・ストリップ:en:Timeline of the Toledo Strip)と呼ばれる細長い領土と境界線をめぐって「トレド戦争」という激しい論争が起きていた。この論争は1836年12月にミシガン準州がトレド・ストリップをオハイオ州に譲る代わりに新ミシガン州がアッパー半島の全域を州土とすることで決着がついた。こうして州土は確定し、1837年1月、ミシガン州は連邦26番目の州となった。当時は、トレド・ストリップよりもアッパー半島のほうが価値の低い土地であると見られていたため、ミシガン州はこの論争における敗者と見なされた。当時の連邦のレポートでは、アッパー半島は''sterile region on the shores of Lake Superior destined by soil and climate to remain forever a wilderness''(永遠に荒野として残ることを土壌と気候が運命付けた、スペリオル湖岸の不毛の土地)と記されていた。

しかし1840年代に入ると、アッパー半島での鉱脈が見つかり、この「不毛の荒野」というイメージはたちまち払拭された。初期こそ採算が取れなかったものの、アッパー半島の鉱山は次第に採掘量を増し、カリフォルニアゴールド・ラッシュを上回るほどの活況を地域にもたらした。1855年にはスーセントマリー運河が開通し、1859年にはマーケットの港に埠頭が完成した。1860年代には、アッパー半島は銅鉱石の生産において全米の90%を占めるほどになった。1890年代に入ると、今度は鉄鉱石の鉱業で栄え、黄金時代を迎えた。アッパー半島における鉱業は1920年代まで隆盛であったが、その後は斜陽に転じた。アッパー半島最後の銅山は1965年に閉山した。鉄山もその多くが閉山となり、現在ではマーケット近辺に残るいくつかの鉄山が細々と採掘を続けているのみである。
鉱業が隆盛にあった時期には、アッパー半島には各地からアメリカ人や移民が移住してきた。治安を維持するため、連邦政府はの近くにを建てた。この地に最初に移住してきた移民は、幾世紀にもわたって鉱業に従事してきたコーンウォール系の移民であった。その後アイルランド系、ドイツ系、フランスカナダ人がこの地に住み着くようになった。現在アッパー半島で最も多いフィンランド系住民の祖先は1890年代にこの地に大量移住してきた。20世紀初頭においても、アッパー半島の人口の75%はアメリカ合衆国外の生まれであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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