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『アップ・フロム・ジ・アッシェズ』(Up from the Ashes)は、アメリカ合衆国のヘヴィメタル・ミュージシャン、ドン・ドッケンが1990年に発表した、個人名義では初のスタジオ・アルバム。ただし、ドッケン自身は本作リリース前のインタビューにおいて「これは本当のバンドなんだ」「今回の作品を僕のソロ・アルバムだと思っている人もいるようだけど、ソロ・アーティストとしてアルバムを作る気なんてまったくなかった」と語っている〔日本盤CD(MVCG-48)ライナーノーツ(増田勇一、1990年7月15日)〕。 == 背景 == ドッケンが一度解散した後、ドン・ドッケンは元ウォッチタワーのビリー・ホワイト、元ヨーロッパのジョン・ノーラム、元アクセプトのピーター・バルテス、元キング・ダイアモンドのミッキー・ディーと共に本作をレコーディング。メンバーのうちノーラム、バルテス、ディーの3人はヨーロッパ人であり、そのことについてドン・ドッケンは『シカゴ・トリビューン』紙のインタビューで「俺はいつもヨーロッパのバンドが好きだった。俺はロサンゼルスで育ったけど、聴いていたのはヨーロッパの音楽だ。今このバンドには、同じスタイルのロックを聴いて育った奴が3人いる」と語っている〔Name Of The Game - Chicago Tribune - article by Brenda Herrmann - 2014年6月1日閲覧〕。 ビリー・ホワイトは以前、ラットのステージに自分の演奏を録音したカセットテープを投げ込んでおり、その後ドン・ドッケンは、ボビー・ブロッツァー(ラットのドラマー)のホーム・スタジオにあったテープを聴いてホワイトの演奏に惹かれ、連絡を取ることにしたという〔。ピーター・バルテスは、ドッケンのデビュー・アルバム『ブレーキング・ザ・チェインズ』でもベースを弾いていたが〔〔、同アルバムのクレジットには、バルテスではなく後にラットで活動するフォアン・クルーシェの名前が記載された〔。 ジョン・ノーラムは後に、自身のソロ・アルバム『フェイス・ザ・トゥルース』(1992年)においてホワイト、バルデス、ディーの3人と再び共演した。また、その後ノーラムは再結成ドッケンに加入し、アルバム『ロング・ウェイ・ホーム』(2002年)に参加している〔Dokken | Biography | AllMusic - Artist Biography by Barry Weber〕。 本作で共同プロデューサーを務めたウィン・デイヴィスは、後に再結成ドッケンの多数の作品でエンジニアリング等を担当する〔Wyn Davis | Credits | AllMusic 〕。「ホエン・ラヴ・ファインズ・ア・フール」は、グレン・ヒューズがソングライティングに参加している〔Glenn Hughes: The Autobiography: From Deep Purple to Black Country Communion - Joel McIver, Glenn Hughes - Googleブックス - 2014年6月1日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アップ・フロム・ジ・アッシェズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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