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アッリアの戦い : ミニ英和和英辞書
アッリアの戦い[あっりあのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

アッリアの戦い : ウィキペディア日本語版
アッリアの戦い[あっりあのたたかい]

アッリアの戦いは、ガリア人が初めてイタリアを侵略した際に起きた戦いである。テヴェレ川の支流のアッリア川付近で行われた。この戦いでローマ側が敗北し、ガリア人ローマを略奪する経路が開かれた。この戦いは紀元前390年または紀元前387年に起きた。
== 背景 ==
ガリアセノネス族はそれ以前からアペニン山脈を越えて新たな定住地を捜し求めていた。彼らはクルシウム(現在のシエーナにあたるエトルリア人の町)の周辺に野営し、土地の使用権について交渉を開始した。クルシウム市民はセノネス族に脅迫されていると感じ、そのころエトルリアにまで軍事的影響力を及ぼしつつあったローマに助けを求めた。戦争が続いて弱っていたローマは、協議のために3人の大使ファビウス兄弟を派遣した〔Ellis, "The Celts: A History." pp. 61-64. Running Press, London, 2004.〕。
協議が不調に終わると、クルシウムは兵を繰り出してセノネス族を追い払おうとした。ローマの歴史家リウィウスは、この時点でローマからの大使が万民法を破り(万民法には、大使と外交官は中立であることを宣誓することが記されている)、セノネス族に対して武器をとったと記している。大使の1人で有力なパトリキでもあるクイントゥス・ファビウスはガリア人のリーダーの1人を戦闘で殺してしまった。セノネス族は大使の宣誓が破られたことに気づき、今後の対応を協議するため戦闘はいったん終結した〔Ellis, "The Celts: A History." pp. 61-64. Running Press, London, 2004.〕。
セノネス族は自らも大使を立ててローマに送り込み、宣誓を破ったファビウスの引渡しを迫った。しかしこれに反発したローマ側は引渡しを拒否しただけでなく、リウィウスによれば、執政官の権限で問題の人物を翌年の軍事護民官(与えられる最高の地位)に指名した。ガリア人大使は当然ながら憤慨した。怒ったセノネス族は蒙った侮辱に対して復讐するため、ローマとの戦争を決意した。
セノネス族はクルシウムからローマまで130kmを進軍した。リウィウスはこの行程を次のように記している。

「予想に反してケルト人(ガリア人)は(道中の地方民に)害を及ぼさず、略奪もしなかったが、都市の近くを通った際にはローマに進軍していること、ローマ人にのみ宣戦布告することを叫び、それ以外の人々は友人だと叫んだ」

そうして、セノネス族はローマ軍とローマの北18kmの地点で遭遇し、アッリアの戦いが始まった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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