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アテネのアテナゴラス(, )は2世紀中頃に活動した、アテネの弁証家、哲学者。キリスト教徒となった、初期の弁証家の一人である〔『キリスト教大事典 改訂新版』24頁、教文館、昭和52年 改訂新版第四版〕。現代ギリシャ語からはアシナゴラスと転写し得る。 エウセビオス、ヒエロニムスのいずれの著作にもアテナゴラスについての記述が無く、事績や生涯について知られている事は大変限られている〔Handbook of Patrology: First Period, Section II: The Apologists of the Second Century 〕。初期キリスト教の著作にみられる例としては、パタラのメトディオス(オリンポスのメトディオス)(4世紀初頭に永眠)の著述の断片に、アテナゴラスの著書における弁明の引用という形で言及されている程度である。またシディのフィリッポス(4世紀末~5世紀前半、Philip of Side)によって、アレクサンドリアのクレメンスはアテナゴラスの弟子であったとするものを含む詳細な伝記が遺されているが、この伝記の信憑性には疑問符が付けられている〔CATHOLIC ENCYCLOPEDIA: Athenagoras 〕〔ATHENAGORAS - Online Information article about ATHENAGORAS 〕。 以上のように生涯についてはよく分かっていないが、著述は『キリスト者のための弁護』()と『死者の復活について』()の二つが残っている〔〔Athenagoras of Athens 〕。『キリスト者のための弁護』においては、当時のキリスト教に対する、3つの誤解と誹謗(無神論、人肉嗜食、近親相姦)に対しての反駁が述べられており、これは皇帝マルクス・アウレリウスとコンモドゥスに宛てられている。この種の論議と弁護の試みとして文献的に最も早いものの一つと考えられている〔。 アテナゴラスの著作が廃れた原因として、プラトニズムとの近親性が指摘されることがある〔。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アテネのアテナゴラス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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