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アデマール・ド・モンテイユ : ミニ英和和英辞書
アデマール・ド・モンテイユ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アデマール・ド・モンテイユ : ウィキペディア日本語版
アデマール・ド・モンテイユ[ちょうおん]

アデマール・ド・モンテイユ(Adhemar de Monteil, または Adémar, Aimar, Aelarz という表記もある)は、第1回十字軍における重要人物のひとり。単にアデマール、アデマール司教、もしくはル・ピュイのアデマールとも。南フランスの司教座都市ル・ピュイ=アン=ヴレ司教を務めた人物で、十字軍の軍団のまとめ役ともなった。
== 十字軍以前 ==
アデマールはフランス南東部ドーフィネの貴族、モンテイユ領主家(Seigneur de Monteil)に生まれたが生年月日は定かでない。3人息子の長男であったアデマールは、教会に入る前には軍隊にいたと考えられるが、この時期の記録はほとんど存在せず教会に入った理由も定かではない。しかし軍事を知っていたために、後の十字軍において主導的な役目を果たしている。
クレルモン=フェラン大司教およびル・ピュイ=アン=ヴレ司教を務めたエティエンヌ・ド・ポリニャック(Etienne de Polignac)が1076年2月に聖職売買により教皇使節(Papal legate)ディのユーグ(Hugues de Die)により破門された。エティエンヌはこれに従わなかったため1077年3月、直接ローマ教皇グレゴリウス7世により破門された。これによりアデマールが新しいル・ピュイ司教に叙任された。アデマールは叙任権闘争を進めるグレゴリウス7世の教会改革を支持する路線をとったが、従来の地元の聖職者たちや有力者のポリニャック家などと厳しく対立し続けた。1086年から1087年にかけてアデマールは巡礼に出かけ不在であったことが様々な記録にあるが、行き先がエルサレムであったと書いているものもあれば行き先について書いていないものもあり断定できない。当時はセルジューク朝がしばしば聖地への巡礼路を封鎖していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アデマール・ド・モンテイユ」の詳細全文を読む




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