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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
アデレード・オーバーン (Adelaide O-Bahn) はアデレード都心の北東に位置するハックニー (Hackney) から都心より10kmあまり北東に位置するマドバリー (Modbury) までを結ぶ全長12kmのガイドウェイバスシステムである。運営主体であるアデレード・メトロは世界最長・最速のガイドウェイバスであるとしている。 == 背景・整備計画 == アデレードでは1950年代から1960年代にかけて急速に郊外の都市化が進み、増加する都心部への流入を裁くために何本もの高速道路を建設する計画が策定された。トレンス川に沿った河岸公園も1960年には高速道路建設の候補地とされた。しかし1970年代になると環境問題に対する関心が高まり、慢性化する交通渋滞やそれにともなう大気汚染、個人での自動車使用を促進することによるエネルギー消費量増加などが懸念されるようになり、高速道路建設は進展しなかった。 変わって計画されたのが、トレンス川沿いに走る公共交通機関である。オーストラリアの2大政党のうち、労働党は路面電車ないしLRTを、自由党はガイドウェイバス建設を公約に掲げており、1970年代後半に南オーストラリア州議会で多数派であった労働党が1978年に一旦は路面電車の建設を決定した。しかし1979年に自由党が与党の座に着くとこの決定は覆され、1980年にはガイドウェイバスの路線が具体的に検討され始めた。1981年には州政府担当者がシュトゥットガルトにあったダイムラー・ベンツのガイドウェイバス試験線やエッセンで営業中のオーバーンの視察に派遣され、同年州議会にて正式にガイドウェイバスの建設が決定された。決定の理由は (1) 鉄道に比べてイニシャルコストが安いこと、(2) 一般道路からの直通運転ができるため、乗り換えの必要性が減ること、(3) 都心部での地下鉄ないし併用軌道の建設が不要であること、とされている。 == 建設・軌道構造 == アデレード・オーバーンの建設は1982年に開始され、1986年にパラダイス (Paradise Interchange) までが部分開通、1989年にはマドバリーまでの全線が開業した。軌道は地面に打ち込まれたパイプとその上に乗せられたコンクリート製枕木、コンクリート製の桁からなっており、複線の軌道幅は6.2mである。最高速度は100km/hとされ、ガイドウェイ区間の始終端部には40km/hの速度制限がある。このほかも線形により80km/hないし90km/hに速度が制限される区間も存在する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アデレード・オーバーン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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