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アトミックサンダーとは地方競馬のホッカイドウ競馬・船橋競馬場に所属していた日本の競走馬である。 == 戦績 == 1997年5月、札幌競馬場でデビュー。その後10戦5勝の成績を残して船橋・川島正行厩舎に移籍。 翌1998年の南関東移籍初戦となったブルーバードカップでは中央競馬の武豊を鞍上に迎えて挑んだが、1番人気だったエスケイタイガーの逃げをとらえられず2着。川崎競馬場で行われた第1回クラウンカップでは石崎隆之騎乗で1番人気に推されたが、道中ずっと前を行かれた佐々木竹見騎乗のハードサインカラーをとらえられず、さらに中団から差してきたモンスターにも先着され3着と敗退。 クラシック戦線ではゴールドヘッド(大井)、エスケイタイガーとの争いが予想されたが、エスケイタイガーは故障で戦線離脱。モンスター、しらさぎ賞優勝馬のカネショウシュホー、大井の準重賞雲取賞優勝馬のダイワシェーバーなどとの戦いになった。 第43回羽田盃では先行した1番人気ゴールドヘッドをとらえられず2着。続く第35回東京王冠賞では2番人気に推されたが、5番人気の伏兵ハカタビッグワンの逃げ切りを許し6着敗退。 迎えた第44回東京ダービー、これまで騎乗した石崎隆之が、5戦4勝で1番人気に推された同厩舎のゼンノブレイブに騎乗のため張田京に乗り替わりとなった。スタート直後、悲願のダービー制覇に燃える的場文男騎乗のゴールドヘッドが逃げるなか、道中3 - 4番手を追走。淡々とした流れのまま最後の直線を迎え、粘り込みをはかるゴールドヘッドをクビ差とらえ優勝。馬主の舛添要一は前年のサプライズパワーに続き、2年連続の東京ダービー優勝馬主となった。 同年の戸塚記念優勝後、休養に入った。 その後、馬主の舛添が東京都知事選挙に出馬のため馬主資格を停止し、持ち馬をすべて手放すことになり本馬は大迫忍に売却されたが、以後出走することなく2001年4月1日付けで登録が抹消された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アトミックサンダー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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