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シルクプリマドンナは、日本の元競走馬の繁殖牝馬。おもな勝ち鞍は、優駿牝馬。全弟には2004年の北海道2歳優駿を制したモエレアドミラルがいる。主戦騎手は藤田伸二。 以下、馬齢は旧表記(数え年)とする。 == 戦績 == 2000年1月、京都競馬場でデビュー。ダート1800メートルの新馬戦を2着に2秒7差の大差をつける圧勝、500万下条件戦も制し連勝を飾った。次走は、初の芝となる4歳牝馬特別。断然の人気に応えたサイコーキララには屈したものの、先行して粘り2着に入った。続く桜花賞は、先行馬有利の流れの中で、中団から追い込み3着に食い込んだ。 そして、迎えた優駿牝馬。血統背景や桜花賞でのレースぶりから、距離延長は歓迎と見られて、1番人気に推された。レースは、1000メートルの通過が63秒3というスローペースで展開、瞬発力勝負となった。これを見越して直線で早めに抜け出すと、外から伸びるチアズグレイスとの叩き合いをクビ差制し、戴冠を果たした。勝ち時計は稍重の馬場とはいえ2分30秒2、2分30秒台での決着は1987年のマックスビューティ以来のことであった。なお、騎手の藤田、調教師の山内共に初の優駿牝馬制覇だった。 秋はローズステークスから始動し、1番人気に推されるも、直線で伸びを欠き4着。本番の秋華賞でも、巻き返しに期待が掛かり1番人気だったが、流れに乗りきれず中団のまま10着に終わった。 続くエリザベス女王杯には、4歳世代の代表として臨み、後方からよく追い込んだが5着に入るまでだった。この後、中1週のローテーションにも拘らずジャパンカップに出走。牡馬の一線級に揉まれる展開では厳しく、中位からずるずると下がり、最終的には勝ったテイエムオペラオーから3秒2離された16着と最下位に沈んだ。この年のジャパンカップは4歳のGI勝ち馬が下位を独占。この結果により2000年のクラシック世代はその評価を大きく貶めてしまった。 その後、さらに阪神牝馬特別にも出走。トゥザヴィクトリーの9着として4歳シーズンを終え、休養に入った。 ここまでの使い詰めの反動からか、休養は思いの外長引いた。さらに骨瘤が出る等の脚部不安もあり、2002年の東風ステークスでようやく復帰がかなった。しかし、4歳春の脚を取り戻すことはできず、大敗を続けた後、エリザベス女王杯の9着を最後に現役を引退、繁殖入りした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シルクプリマドンナ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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