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アドラーブルとは1992年の優駿牝馬(オークス)を制した日本の競走馬である。当馬は母エコルシュの初仔であり、全弟に中山大障害(春)などの優勝馬ノーザンレインボーがいる。馬主の根岸治男にとっては、初めて所有した馬がこのアドラーブルであった〔「オークス馬のオーナーに聞く 根岸治男さん」『優駿』1992年7月号、日本中央競馬会、32頁〕。 == 現役時代 == 1991年7月にデビューしたアドラーブルは、不良馬場の中、後続に6馬身差をつけて勝利する。続く札幌3歳ステークスでは、単勝2番人気に支持され、前々でレースを進めたが直線に入って伸びを欠き、ニシノフラワーの9着に大敗する。レース後休養に入り、復帰初戦の12月の条件戦では3着。3戦1勝の戦績で1991年を終えた。 翌年1月の牝馬限定のオープン戦で2着に入り、同レースでアドラーブルの手綱を取った村本善之は引退するまで手綱を取ることとなる。次走の寒桜賞では1番人気を裏切って7着と成績が安定しなかったが、陣営はクラシックレースを目指し、桜花賞トライアルレースであるチューリップ賞(当時はオープン特別。現在はGIII)を次戦に選ぶ。桜花賞の本命候補と考えられていたニシノフラワーが単勝1.2倍で1番人気、オグリキャップの妹オグリホワイトがそれに続く人気を集め、アドラーブルは3番人気に支持された。このときニシノフラワーは、レースで度重なる不利を受け思うような競馬ができず抜け出しに手間取り、アドラーブルは中団から一気に抜け出しレースを制した。 桜花賞当日、ファンは河内洋に乗り代わったニシノフラワーを1番人気に支持、アドラーブルは単勝6番人気となった。レースは横綱競馬で後続を突き放したニシノフラワーの2着に入り、アドラーブルが牝馬クラシック路線において上位の実力を示すこととなった。 迎えたオークスでは、依然としてニシノフラワーが人気を集め、続いてオークスのトライアルレースで強い競馬を見せたキョウワホウセキやタイコサージュに人気が集まり、アドラーブルは単勝4番人気となった。レースでは、ウィーンコンサートが飛ばして先頭に立ち、ニシノフラワーは、そのやや後ろでレースを進め、アドラーブルはさらにその後ろに位置した。上位人気に支持されたキョウワホウセキやタイコサージュ、ラックムゲンらは中団よりもやや後ろでレースを進める。直線に入り、ニシノフラワーが一気に先頭に立とうとスパートするが抜け出せず、ニシノフラワーを捉えて抜け出したキョウワホウセキと内から伸びてくるサンエイサンキューの2頭の争いをアドラーブルが大外から差しきって勝利を収めた。管理していた小林稔にとっては、初のクラシック制覇となった〔『優駿』1992年7月号、日本中央競馬会、150頁〕。 その後、アドラーブルはエリザベス女王杯に出走。5番人気に推され、馬体重20kg増で出走することとなったが、レースを制した同厩舎のタケノベルベットから大きく離された4着に終わった。このエリザベス女王杯を最後に引退した〔『優駿』1993年9月号、日本中央競馬会、38頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アドラーブル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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