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アドルフォ・ニコラス(スペイン語: Adolfo Nicolás Pachón, 1936年4月29日 – )は、カトリック教会のスペイン人司祭、神学者。第30代イエズス会総長(2008年1月19日 - )。 == 経歴 == アドルフォ・ニコラスはスペインのパレンシア県ビリャムリエル・デ・セラートに生まれ、1953年イエズス会に入会し、アランフエスで修練生となった。アルカラ大学で哲学学士号 (Licenciatura) を得た後、来日した。1960年まで日本で日本語とその文化を学んだ。ニコラスは、1964年上智大学神学部に入学して神学を学び、1967年3月17日に司祭に叙階。 1968年から1971年には、ローマの教皇庁立グレゴリアン大学で学び、神学博士号を得た〔「アドルフォ・ニコラス元神学部教授がイエズス会総長に選出 」上智大学、2008年1月21日。〕〔Biografía , JESUITAS (Compañía de Jesús España).〕。そののち日本に戻り、母校である上智大学で13年間組織神学の教授を務めた。 1978年から1984年にかけ、フィリピンのメトロ・マニラにあるアテネオ・デ・マニラ大学の東アジア司牧研究所所長をつとめた〔Fr. Adolfo Nicolas elected Superior General of the Jesuits , The Philippine Jesuits, Jan. 19, 2008.〕。さらに日本へ戻り、1991年から1993年にかけて東京で修練院院長をつとめた後、イエズス会日本管区長となり、2000年まで在職した〔。その後も3年間、上智大学神学部での教職を続けるとともに、東京で特に開発途上国地域から来日した貧しい移民の間で司牧をしていた。1998年、彼は教皇庁と対立し、複数のアジア人司教とともに、教会の意志決定についてより下位組織に決定権が与えられるよう求めた〔"Will the New "Black Pope" Work? ", ''TIME Magazine'', January 19, 2008.〕。 2004年にはイエズス会東アジア及びオセアニア会議 (Jesuit Conference of East Asia and Oceania, JCEAO) でのモデレータに任じられ、再びフィリピンへ赴いた〔〔About JCEAO , JCEAO (Jesuit Conference of East Asia and Oceania).〕。モデレータとして、オーストラリア・中国・日本・韓国・ミクロネシア・ミャンマー・東ティモールなどの国々を代表、国々を歴訪し、コーディネートにつとめた。 2008年1月19日の第35回総会 (General Congregation) の第2回投票で、ニコラスはオランダ人のペーター・ハンス・コルヴェンバッハから継いで、第30代イエズス会総長に選任される。選挙結果はただちに任命権者であるベネディクト16世に伝えられた。ニコラスは、第28代総長で、日本での司牧経験があるスペイン出身のペドロ・アルペ神父との類似点が指摘されている。これより、19,126人を抱えるカトリック教会最大の男子修道会を率いることになった〔"Spaniard Adolfo Nicolás elected new Superior General of the Jesuits ", CNA (CatholicNewsAgency), Jan 19, 2008.〕。 母語であるスペイン語に加え、ニコラスはカタルーニャ語、英語、イタリア語、フランス語及び日本語を読み書き話す〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アドルフォ・ニコラス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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