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アナスタシア・ミハイロヴナ : ミニ英和和英辞書
アナスタシア・ミハイロヴナ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アナスタシア・ミハイロヴナ : ウィキペディア日本語版
アナスタシア・ミハイロヴナ

アナスタシア・ミハイロヴナ(, 1860年7月28日 - 1922年3月11日)は、メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ3世の妃。ロシア大公女ロシア皇帝ニコライ1世の末子ミハイル・ニコラエヴィチ大公の長女(第2子)、母はバーデン大公家出身の妃オリガ・フョードロヴナ
== 幼年時代 ==
2歳の時に、父がカフカース総督になったため、一家はグルジアへ転居した。彼女は、雄大な自然に囲まれたティフリス(現在のグルジアの首都トビリシ)の宮殿で育った。アナスタシアの他は6人兄弟ばかりで、文字通り一人娘のアナスタシアは『スタッシー』と呼ばれて父の愛情を一心に受けた。対照的に、母オリガは自制の効いた愛情を子供たちにみせ、アナスタシアを兄弟たちと分けて育てた。長身で黒髪と東洋的な緑色の瞳をしたアナスタシアは、独立心旺盛な意志の強い女性に育った。
1878年、18歳になろうとしていたアナスタシアに、母とマリア・パヴロヴナウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公の妃)が、マリアの実兄で27歳になるメクレンブルク=シュヴェリーン大公太子フリードリヒ・フランツとの縁談をもちこんできた。アナスタシアとフリードリヒ・フランツの祖母たちはプロイセン王家出身で姉妹にあたり、彼は皇帝パーヴェル1世の子孫でもあった。同年の春、フリードリヒ・フランツはアナスタシアに会いにティフリスへやってきた。彼は資産家であり、大公家の跡継ぎであったが、喘息に苦しみ体が弱かった。アナスタシアは、将来の安定した地位を約束するこの縁談に異を唱えることはできなかった。1879年1月、サンクトペテルブルクで2人は結婚し、2月にシュヴェリーンへ向かった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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