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アナスタシヤ・トルベツカヤ : ウィキペディア日本語版
アナスタシヤ・トルベツカヤ

アナスタシヤ・イヴァノヴナ・トルベツカヤ(Анастаси́я Ива́новна Трубецкая, 1700年10月14日 - 1755年11月27日)は、ロシアの貴族女性。モルダヴィアディミトリエ・カンテミールの2番目の妻で、のちヘッセン=ホンブルク方伯世子でロシア元帥のルートヴィヒ・グルーノLudwig Gruno von Hessen-Homburg)の妻となった。再婚後はゲッセン=ゴンブルクスカヤ(Анастаси́я Ива́новна Гессен-Гомбурская)の姓を名乗った。
アナスタシヤはイヴァン・ユーリエヴィチ・トルベツコイ公爵とその妻のイリーナ・ナルィシュキナとの間に生まれた。父はロシア帝国元帥を務め、「最後のボヤーレ」と呼ばれた。また父の庶子には教育改革者でロシア帝国美術アカデミー総裁を務めたイヴァン・ベツコイがいる。
アナスタシヤは1717年1月14日に27歳年上のモルダヴィア公ディミトリエ・カンテミールと最初の結婚をし、間に一人娘のエカチェリーナ・スマラグダ(Екатерина Дмитриевна Голицына)をもうけ、この娘は外交官のドミトリー・ミハイロヴィチ・ゴリツィン公爵に嫁いだ。裕福で美しく頭の良いアナスタシヤは、アンナ・イヴァノヴナ女帝やエリザヴェータ・ペトロヴナ女帝に側近として重んじられた。カンテミールとは1723年に死別した。
1738年2月3日、アナスタシヤはロシア帝国元帥でドイツのヘッセン=ホンブルク方伯家の世継ぎ公子であるルートヴィヒ・グルーノと再婚した。翌1739年に夫妻はドイツを訪れて一度だけホンブルクに滞在した。夫のルートヴィヒ・グルーノは父親の方伯フリードリヒ3世の死の前年に没したため、アナスタシヤはホンブルク方伯夫人にはなれなかった。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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