翻訳と辞書
Words near each other
・ アナトーリー・デミドフ
・ アナトーリー・バランケヴィッチ
・ アナトーリー・ブランドゥコーフ
・ アナトーリー・ペルミノフ
・ アナトーリー・リャードフ
・ アナトール・アブラガム
・ アナトール・ウゴルスキ
・ アナトール・ディルダー
・ アナトール・デイブレル
・ アナトール・デミドフ
アナトール・ドーマン
・ アナトール・フィストゥラーリ
・ アナトール・フランス
・ アナトール・フランス (小惑星)
・ アナトール・マレー
・ アナトール・ミハイロビッチ・ステッセル
・ アナトール・ラパポート
・ アナトール・ラポポート
・ アナトール・リトヴァク
・ アナトール・リーベン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アナトール・ドーマン : ミニ英和和英辞書
アナトール・ドーマン[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アナトール・ドーマン : ウィキペディア日本語版
アナトール・ドーマン[ちょうおん]

アナトール・ドーマンAnatole Dauman, 1925年2月7日 - 1998年4月8日) は、フランス映画プロデューサー
== 来歴 ==
1925年2月7日ポーランドワルシャワで生まれた。その後、フランスに移住し、1949年にフィリップ・リフシッツと映画製作会社アルゴス・フィルムを設立した。初期はピエール・カストジャン・オーレルクリス・マルケルといった映画監督と製作を行い、いわゆる「セーヌ左岸派」と呼ばれる映画人の製作に貢献した。
1950年代後半にはアラン・レネの『夜と霧』(1955年)や『二十四時間の情事』(1959年)を手掛けた。1960年代ジャン=リュック・ゴダールの『男性・女性』(1966年)や『彼女について私が知っている二、三の事柄』(1967年)、ロベール・ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』(1966年)や『少女ムシェット』(1967年)などを製作した。
1970年代からは国際的な活動も目立ち、大島渚の『愛のコリーダ』(1976年)や『愛の亡霊』(1978年)、フォルカー・シュレンドルフの『ブリキの太鼓』(1979年)、ヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』(1984年)や『ベルリン・天使の詩』(1987年)などを手掛けた。
1998年4月8日パリにて73歳で死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アナトール・ドーマン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.