|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
アナベル・メディナ・ガリゲス(Anabel Medina Garrigues, 1982年7月31日 - )は、スペイン・トレント出身の女子プロテニス選手。2008年と2009年の全仏オープン女子ダブルスで、ビルヒニア・ルアノ・パスクアルとペアを組んで2連覇した。2008年北京五輪の女子ダブルス銀メダル獲得もある。これまでにWTAツアーでシングルス11勝、ダブルスで25勝を挙げる。自己最高ランキングはシングルス16位、ダブルス3位。身長169cm、体重59kg、右利き。両手打ちのバックハンドから放たれるダウン・ザ・ライン(ラインぎりぎりに放つショット)を最大の武器にする。 == 来歴 == メディナ・ガリゲスは12歳という遅い年齢から、家族とともにテニスを始めた。1998年1月にプロ転向。2001年7月にイタリア・パレルモ大会で女子ツアーのシングルスに初優勝を果たし、ダブルスで年間4勝を獲得。2002年の全豪オープンで4回戦に進出するが、モニカ・セレシュとの対戦中に右膝の前十字靭帯断裂を起こし、4-2 で途中棄権した。この故障で右膝の手術を受け、同年9月まで復帰できなかった。2004年から彼女はキャリアを軌道に乗せ、(ツアー初優勝を飾った)パレルモ大会で2004年-2006年の大会3連覇を果たす。この年は2004年アテネ五輪のスペイン代表選手にも選ばれたが、シングルス・ダブルスとも1回戦で敗退した。シングルス1回戦ではマリー・ピエルス(フランス)に敗れ、ベテランのアランチャ・サンチェス・ビカリオと組んだダブルスではアルゼンチン代表のパオラ・スアレス&パトリシア・タラビーニ組に敗れている。 アナベル・メディナ・ガリゲスは2005年・2006年の2年連続で、女子ツアーでシングルス年間2勝を記録した。2007年は全仏オープン直前の大会にあたるフランス・ストラスブール大会で、第1シードのアメリ・モレスモを 6-4, 4-6, 6-4 で破った優勝がある。続く全仏オープンで、メディナ・ガリゲスは2002年全豪オープン以来5年ぶりの4大大会4回戦進出を果たしたが、初進出の全仏4回戦では第7シードのアナ・イバノビッチ(セルビア)に 3-6, 6-3, 3-6 のフルセットで敗れた。 2007年から、メディナ・ガリゲスはダブルスで同じスペインのビルヒニア・ルアノ・パスクアルとコンビを組んで大半のトーナメントに出場するようになる。ルアノ・パスクアルは長年にわたりパオラ・スアレス(アルゼンチン)とのペアで多くの好成績を出してきたが、スアレスの引退により、メディナ・ガリゲスを新しいダブルス・パートナーに選んだ。メディナ・ガリゲスとルアノ・パスクアルは、2008年全仏オープンの女子ダブルス決勝戦でフランチェスカ・スキアボーネ(イタリア)&ケーシー・デラクア(オーストラリア)組に 2-6, 7-5, 6-4 で逆転勝ちした。こうして、アナベル・メディナ・ガリゲスは初めての4大大会タイトルを獲得する。8月の北京五輪で、メディナ・ガリゲスは2度目のオリンピックに出場した。シングルスは1回戦でシビル・バンマー(オーストリア)に敗れたが、ルアノ・パスクアルとのダブルスで決勝に進出する。女子ダブルス決勝戦ではビーナスとセリーナのウィリアムズ姉妹組(アメリカ、当年度のウィンブルドン優勝ペア)に 2-6, 0-6 で完敗し、スペインペアは銀メダルを獲得した。 2009年の全仏オープン女子ダブルス決勝で、メディナ・ガリゲスとルアノ・パスクアルはビクトリア・アザレンカ(ベラルーシ)&エレーナ・ベスニナ(ロシア)組を 6-1, 6-1 で圧倒し、2年連続優勝を飾った。 2011年のポルトガル・エストリル大会でメディナ・ガリゲスはクリスティナ・バロイス(ドイツ)を 6–1, 6–2 で破り、2年ぶりのシングルス10勝目を挙げた。7月のパレルモ大会でも優勝した。 メディナ・ガリゲスは2014年全仏オープンの予選敗退を最後にシングルスから撤退しダブルスに専念している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アナベル・メディナ・ガリゲス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Anabel Medina Garrigues 」があります。 スポンサード リンク
|