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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ロード・ウォリアー・アニマル(Road Warrior Animal)のリングネームで知られるジョー・ロウリネイティス(Joe Laurinaitis、本名:Joseph Michael Laurinaitis〔、1960年1月26日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。 ギミックの上ではイリノイ州シカゴ出身を自称し、ロード・ウォリアー・ホークとのタッグチーム、ロード・ウォリアーズのメンバーとして活躍した。日本ではアニマル・ウォリアー(Animal Warrior)と呼ばれ、ジョニー・エースことジョン・ロウリネイティス、ザ・ターミネーターことマーク・ロウリネイティスの実兄としても知られる。 == 来歴 == トレーナーのエディ・シャーキーにジョージア・チャンピオンシップ・レスリングのブッカーだったオレイ・アンダーソンを紹介され、アンダーソンの斡旋により1982年11月にNWAジョージア地区にてデビュー〔『ロード・ウォリアーズ 破滅と絶頂』、P57。〕。ザ・ロード・ウォリアーをリングネームに、バイカー・ギミックのヒールとしてノースカロライナのジム・クロケット・プロモーションズにも出場したが芽が出ず〔『ロード・ウォリアーズ 破滅と絶頂』、P66。〕、ホームタウンのミネソタに帰郷後の1983年6月、幼馴染のマイク・ヘグストランドと共に再びジョージアに登場〔『ロード・ウォリアーズ 破滅と絶頂』、P71。〕。ヘグストランドはロード・ウォリアー・ホーク、自身はロード・ウォリアー・アニマルを名乗り、兄弟子でもあるポール・エラリングをマネージャーに迎えたタッグチーム、ロード・ウォリアーズ(リージョン・オブ・ドゥーム)として再デビューを果たす〔『ロード・ウォリアーズ 破滅と絶頂』、P72-73。〕。以降、日米の各団体を転戦し、各地で爆発的な人気を獲得した。 2002年、全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に武藤敬司とのコンビで出場。優勝は逸したものの、ビッグネームとしての貫録を見せた。 2005年、WWEと再契約してスマックダウンに所属。ハイデンライクと新生リージョン・オブ・ドゥームを結成し、同年7月28日にWWEタッグ王座を奪取した。2006年1月17日にハイデンライクが解雇された後はシングルプレイヤーとなり、ヒールのポジションでマット・ハーディーなどと抗争するが、同年6月26日に自身もWWEを離脱、以降はフリーとなった。 2007年、久々の来日が実現し、9月1日の健介office自主興行に出場。かつてホークとチームを組んでいたパワー・ウォリアーこと佐々木健介と「ヘル・ウォリアーズ」を結成し、ドゥームズデイ・デバイス(ダブル・インパクト)で勝利。 2011年、ホークとのロード・ウォリアーズとして、初代マネージャーのポール・エラリングと共にWWE殿堂に迎えられた。2012年7月20日放送のスマックダウンでは久々にリングに上がり、レジェンド達と連戦していたヒース・スレイターに勝利。翌週のRAW1000回記念放送にも、ボブ・バックランド、ロディ・パイパー、サージェント・スローター、シッド・ビシャス、ベイダーらレジェンド達と共に登場した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロード・ウォリアー・アニマル」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Road Warrior Animal 」があります。 スポンサード リンク
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