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アニューの戦い : ミニ英和和英辞書
アニューの戦い[あにゅーのたたかい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

アニューの戦い : ウィキペディア日本語版
アニューの戦い[あにゅーのたたかい]

アニューの戦い〔Frieser 2005, p. 243-46.〕は、第二次世界大戦中、ベルギーの戦いのさなか、ベルギーアニュー1940年5月12日から14日の間行われた戦いのことである。この戦いは第二次世界大戦における初めての大規模戦車戦であり、北アフリカ戦線独ソ戦が行われるまでは世界最大の戦車戦だった〔Frieser 2005, p. 239.〕。ドイツ軍のアニュー攻撃はエーリッヒ・フォン・マンシュタイン立案のファル・ゲルプ(Fall Gelb)すなわち黄作戦により、強力なフランス第1軍部隊に足止めを食わせ、アルデンヌの突破を行うドイツA軍集団の主力から引き離すことを目的としていた。ドイツ軍のアルデンヌ突破はオランダ・ベルギー侵入の5日後、5月15日の予定であったが、この遅延は主力部隊がシュリーフェン・プランのようにベルギーを通過してフランスに侵攻するように見せかけるものだった。連合軍はベルギーへ向けて進軍すると、ベルギー東部でドイツ軍の陽動作戦による攻撃で足止めを食うことになった。アルデンヌの側面を攻撃に曝しながら、ドイツ軍はイギリス海峡へ侵攻し連合軍を包囲、殲滅する手はずだった。ドイツ軍はベルギー侵入のちょうど2日後にアニューに到着した。
戦いの初期段階でフランス軍と連合軍は遅滞戦術により展開された一連の交戦には勝利したものの、ベルギー戦線の崩壊を防ぐことはできなかった。ドイツは戦略的にアルデンヌから急遽撤退する連合軍の動きを封じことに成功した。しかしドイツ軍はフランス軍の無力化には失敗、フランス第1軍はドイツ国防軍の進撃を遅らせ、イギリス海外派遣軍ダンケルクから撤退させることを可能にした。
==背景==

===連合軍の意図===
連合軍最高司令官モーリス・ガムランは司令官ガストン・ビョット(Gaston Billotte)率いる第1軍集団と、司令官ルネ=ジャック=アドルフ・プリウー(Rene-Jacques-Adolphe Prioux)率いる完全に機械化された騎兵軍団が所属するフランス最強のフランス第1軍を、大規模ではあるものの軽装備のベルギー軍を支援するためにベルギーへ進軍させた。ガムランはドイツ軍がアルベール運河でベルギー軍の防衛線を突破すべく速やか攻撃するだろうと考えていた。いずれにせよベルギー軍は、4日後には同盟軍がベルギー中央部に計画的に張ったアントワープナミュール間のディール線へ撤収することになっていて、ベルギー軍はナミュール北方のジャンブルーを中心に、塹壕で防備された戦線を速やかに確立しようとしていた。ガムランは敵主戦力の動向を予想し、この作戦の敵の主な目的は電撃戦であり、ディール川マース川間の「ジャンブルーの間隙」に装甲部隊を集中させて突破することであると確認した。また、ベルギー・オランダ・ルクセンブルクはドイツ軍が黄作戦を発動して侵入を開始するまでは依然として中立の立場にあるため、フランス第1軍が戦いの準備を満足に行うのは不可能であることがわかった。そのため騎兵軍団はマース川が東に流れをかえ、アルベール運河と接続する合流するジャンブルー・マーストリヒト間で遅滞戦術を実行する任務を与えられた。そしてドイツ軍侵入後の8日までにジャンブルー地域に到着し、敵の侵入を阻止して、フランス第1軍に塹壕を掘る十分な時間を稼いだ〔Frieser 2005, pp. 245-246.〕。
騎兵軍団は1939年12月26日に編成され、既存の騎兵部隊の装甲師団、第1軽機械化師団(1re Division Légère Mécanique、''1e DLM'')と第2軽機械化師団が所属していた。しかし1940年3月26日、第1軽機械化師団は敵軍の侵攻に際しブレダ近辺でオランダ軍との連絡を確立する任務を与えられた。そのため、この経験豊かで活動的な師団は騎兵軍団から異動となり、代わりに第3軽機械化師団が配属された。しかし第3軽機械化師団は2月1日に編成されたばかりで予備兵が配属されており、まだ訓練が不十分であった。それでもプリウーはマーストリヒトでの河川横断戦や、その他の作戦行動を行うのに十分な戦力であると考えた。しかし第3の選択肢として急造の防衛線を守ることにした。敵がジャンブルーから十分な距離にあるならば、彼は自由に作戦が選ぶことができた。彼は状況に応じて生じる必要性により、全ての可能性を念頭に置いて行動することに決めた〔Saint-Martin (1998), p 260〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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