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アネット・ペッチ : ミニ英和和英辞書
アネット・ペッチ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アネット・ペッチ : ウィキペディア日本語版
アネット・ペッチ

アネット・ペッチAnett Pötzsch1960年6月3日 - )は、旧東ドイツ出身の女性フィギュアスケート選手で、現在はフィギュアスケートコーチ兼国際スケート連盟公認の技術審判員。1980年レークプラシッドオリンピック女子シングル金メダリスト。1978年、1980年世界フィギュアスケート選手権優勝。

== 経歴 ==
1960年6月3日、旧東ドイツカール=マルクス=シュタット(現在のケムニッツ)で生まれる。
ユッタ・ミュラーに師事し、1972-1973年シーズンから国際大会へ出場を果たした。1975年欧州選手権で初表彰台の3位となり、1976年インスブルックオリンピックではオリンピック初出場ながら4位入賞を果たした。
1977年欧州選手権では初優勝を飾り、以後1980年欧州選手権まで4連覇を達成する。世界選手権では1977年世界選手権でアメリカリンダ・フラチアニに次ぐ2位となったものの、翌1978年世界選手権ではリンダ・フラチアニを抑え初優勝を飾った。しかし、1979年世界選手権では再びリンダ・フラチアニに敗れ2位となる。
1980年レークプラシッドオリンピックでは、それまで世界選手権で優勝を分け合ってきたリンダ・フラチアニとの対決に注目が集まった。アネット・ペッチは当時行われていたコンパルソリーフィギュアを得意としており、一方のリンダ・フラチアニはコンパルソリーフィギュアが苦手な反面、ショートプログラムフリースケーティングを得意としていた。勝負の行方はリンダ・フラチアニのコンパルソリーフィギュアでの出来と、アネット・ペッチのショートプログラムおよびフリースケーティングの出来に左右されていた。
オリンピックではアネット・ペッチがコンパルソリーフィギュアで1位、ショートプログラム4位、フリースケーティング3位、一方のリンダ・フラチアニはコンパルソリーフィギュアで3位、ショートプログラムで1位、フリースケーティングで2位となり、アネット・ペッチが僅かの差で金メダルを獲得した。これは東ドイツの選手がフィギュアスケート競技で初めて手にしたオリンピックの金メダルでもあった。オリンピック後に引退。
引退後はケムニッツでコーチとして活動し、現在は国際スケート連盟のテクニカル審判員としても活躍している。私生活では、カタリナ・ヴィットの兄であるアクセル・ヴィットと結婚。のちに離婚したものの2人の子であるクラウディア・ラウシェンバッハはペアスケート選手として活動し、ロビン・ゾルコーヴィとペアを組み2001年ドイツ選手権で優勝した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アネット・ペッチ」の詳細全文を読む




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