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アビタンとは、フランス出身、またはフランス移民を先祖に持つ、ヌーベルフランスの農民をさす。特に、現在のケベック州の、セントローレンス湾やセントローレンス川沿岸に住んでいた人々のことで、彼らは自らをこう呼び、また、17世紀から20世紀初頭までは、ヌーベルフランスの他の社会階層の人々からもこう呼ばれていた。20世紀に入ると、この言葉は衰退し、より現代的な、農民(アグリクルテュール)、または農産物生産者(プロデュクテュール・アグリコール)という表現へと変わっていった。 ==アビタンと領主の所有地== ヌーベルフランスのアビタンの身分は、主に彼らの領主(seigneur)との関係により定められていた。領主の多くは、フランスから来た貴族または聖職者で、広大な領土または荘園を有する者にのみ領主の称号が課せられた。このような制度のもと、上流人士が領地を所有し、伝統にのっとった封建制を作り上げた〔Allan Greer, The People of New France (Toronto: University of Toronto Press, 1997), 37.〕。 領主の土地で得られた豊富な富は、主にアビタンが開拓することによって築かれたものだった。国王ルイ13世が制定した土地に関する規則には、土地が一定期間開墾されない場合には、罰金を課すると定められていた〔Emma L. Coleman, “A Seigneury of New France,” The New England Quarterly 10 (1937): 134, accessed February 27, 2012, 加えて、領主の、住民に対する責任行為はさほど多くなかった。領主は借地人のために製粉小屋を建てることが義務付けられていたが、その見返りとして、借地人は収穫した穀物をこの製粉所で挽き、粉14袋につき1袋を領主に差し出さなければならなかった。領主はまた、特定の日に、住民に賦役を課す権利と、漁業地や林業地、共同放牧地の権利を要求することができた〔Allan Greer, The People of New France (Toronto: University of Toronto Press, 1997), 38.〕。しかし、義務を果たしたアビタンは、事実上自分がその土地の所有者となり、子供にその土地を相続させることもできた〔木村、64頁〕。 フランス統治の末期には、領主たちの要求はより大きなものとなって行った、領主たちは、アビタンの収める年貢だけでは真に豊かな生活はできず、かと言ってアビタンから多くの年貢を取り立てて、貧困に追いやることも不可能だった〔Allan Greer, The People of New France (Toronto: University of Toronto Press, 1997), 39.〕。住民たちは農奴ではなく自由民であり、領主たちは「領地内の生産活動に関する、特定かつ限られた権利を握っている」だけの存在だった。領主とアビタンとに土地の所有権がある場合、両者はこの権利がもとで反目し合っていた〔Allan Greer, The People of New France (Toronto: University of Toronto Press, 1997), 40.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アビタン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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