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アピ事件(アピじけん)とは、1943年10月10日の双十節を期して、日本軍占領統治下のボルネオ島アピ(現・マレーシアサバ州コタキナバル)で、華僑を中心とする現地住民が抗日武装蜂起を起こし、これを鎮圧した日本軍が反乱に加担したとして現地住民多数を殺害した事件〔東京裁判ハンドブック(1989) 115頁、岩川(1995) 232-234頁、原(1983)。〕。 == 背景 == === 日本軍の英領ボルネオ占領 === 1941年12月、日本軍はマレー作戦と並行して英領ボルネオへの攻撃を開始し、翌1942年2月中にほぼ全域を制圧した。1942年4月にボルネオ守備隊が創設され、軍政が整えられた。英領ボルネオは5州14県に再編され、1942年12月以降「北ボルネオ」と称された。北ボルネオ西岸は「西海岸州」、のちに「西海州」と呼ばれ、州都「ジェッセルトン」は1943年5月に「アピ」に改称された。北ボルネオ全域の治安状況は「平穏」とされ、1943年3月以降、日本軍は警備隊1個大隊で北ボルネオ全域を防備し、アピには警備隊を配置していなかった。〔原(1983) 41頁。〕 しかし、日本軍の軍政下で、従来の主要産業であったゴム等の産業・産品が過剰視され、主要輸出先であった欧米との取引が途絶して生産活動が大打撃を受けたこと、輸入に頼っていた食料品や日用品が不足して物価が高騰したこと、飛行場や道路の建設などに現地住民を徴用したこと、関税収入の減少を補うため人頭税を課したことなどから、現地住民は経済的に困窮していた。また華僑に対して中国語の使用抑制・華僑学校の閉鎖などの抑圧的な政策をとり、献金を強制するなどしたこと、現地住民に対して高圧的な統治姿勢を鮮明にしたことが、抗日蜂起の契機になった。〔原(1983) 50-59頁。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アピ事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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