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アファ・アノアイ(Arthur "Afa" Anoa'i, Sr.、1942年11月21日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。アメリカ領の東サモア諸島出身。 アノアイ・ファミリーの総帥であり、弟のシカ・アノアイとのタッグチーム、ワイルド・サモアンズ(The Wild Samoans)での活動で知られる。1980年代の新日本プロレスにワイルド・サモアンのリングネームで度々来日したサムラ・アノアイ、WWEでレガシーのメンバーだったマヌーことアファ・アノアイ・ジュニアは彼の息子である。 == 来歴 == 少年時代に一家でカリフォルニア州サンフランシスコに移住し、17歳でアメリカ海兵隊に入隊。除隊後、遠戚関係にある同じサモア系アメリカ人のピーター・メイビアのトレーニングを受け、1971年にプロレスラーとしてデビュー。 アリゾナをサーキットした後、スチュ・ハートの主宰するカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングにて弟のシカ・アノアイとザ・サモアンズを結成。以降ジ・アイランダーズおよびワイルド・サモアンズの名義で1973年から1984年にかけて、デトロイト、アラバマ、テネシー、ルイジアナ、ジョージア、ニューヨークなど全米の主要テリトリーを転戦し、各地のタッグ王座を再三獲得した。日本には、国際プロレスに3回、新日本プロレスに2回来日している。 1984年の下期にシカとのチームを解散し、セミリタイア後の1992年から1994年までは、WWFにて息子のサムゥと甥のファトゥのザ・ヘッドシュリンカーズのマネージャーを務め、同じく甥にあたるヨコズナとも共闘した。 引退後はペンシルベニア州アレンタウンにプロレスラー養成所のワイルド・サモアン・トレーニング・センターを開設。ビリー・キッドマン、ジーン・スニツキー、バティスタ、甥のエディ・ファトゥ(ウマガ)、マット・アノアイ(ロージー)、ジョー・アノアイ(ロマン・レインズ)などを輩出した。また、1996年よりインディー団体のWXW(World Xtreme Wrestling)を主宰している。 2007年にはシカと共にWWE殿堂に迎えられ、サムゥとロージーが彼らのインダクターを務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アファ・アノアイ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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