翻訳と辞書
Words near each other
・ アフメト・ジェマル
・ アフメト・ジェマル・パシャ
・ アフメト・ダウトオール
・ アフメト・ニハト・オスマンオウル
・ アフメト・ネジデト・セゼル
・ アフメト・ハムディ・タンプナル
・ アフメト・ベイ・ゾグー
・ アフメド
・ アフメド・アハハウイ
・ アフメド・アブドラ・モハメド・サンビ
アフメド・イブラヒム・ガジ
・ アフメド・ウラービー
・ アフメド・エル・ホセ
・ アフメド・カラヒサーリー
・ アフメド・サンジャル
・ アフメド・ゾグー
・ アフメド・ハリル
・ アフメド・ビン=アリー・スタジアム
・ アフメド・ベンベラ
・ アフメド・ベン・ベラ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アフメド・イブラヒム・ガジ : ミニ英和和英辞書
アフメド・イブラヒム・ガジ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アフメド・イブラヒム・ガジ ( リダイレクト:アフマド・イブン・イブリヒム・アル=ガジー ) : ウィキペディア日本語版
アフマド・イブン・イブリヒム・アル=ガジー

アフマド・イブン・イブリヒム・アル=ガジー(, Ahmad ibn Ibrihim al-Ghazi, 1507年頃 - 1543年2月21日〔)は今のエチオピア東部からソマリア北西部にあった「アダル・スルタン国」のイマーム将軍。アフマドはアダル・スルタン国を乗っ取り、さらにはオスマン帝国の助けを借りて隣国のエチオピア軍を破り〔Saheed A. Adejumobi, ''The History of Ethiopia'', (Greenwood Press: 2006), p.178〕、一時期エチオピア高原を支配下に置いた。まもなくポルトガルの援助を受けたエチオピア軍の反撃を受け、1543年に戦死。
「ガジー」は「戦う者」を意味するアラビア語であり、名の意味は「異教徒と戦う者、イブリヒムの息子アフマド」である。アフマドはソマリ人だったともオロモ人だったとも言われているが、その部下のほとんどはソマリ人であった〔John L. Esposito, editor, ''The Oxford History of Islam'', (Oxford University Press: 2000), p. 501〕。アフマドは「左利き」の渾名を持っており、ソマリ語でグレイ(Gurey)、アムハラ語グラン(ግራኝ ''Graññ'')と呼ばれた。
==出生==
アフマドはソマリ族だったと考える学者が多い〔〔〔Nikshoy C. Chatterji, ''Muddle of the Middle East'', (Abhinav Publications: 1973), p.166〕〔Charles Fraser Beckingham, George Wynn Brereton Huntingford, Manuel de Almeida, Bahrey, ''Some Records of Ethiopia 1593-1646: Being Extracts from the History of High Ethiopia or Abassia By Manoel De Almeida, Together with Bahrey's History of the Galla'', (Hakluyt Society: 1954), p.105〕〔Charles Pelham Groves, ''The Planting of Christianity in Africa'', (Lutterworth Press: 1964), p.110〕〔Richard Stephen Whiteway, Miguel de Castanhoso, João Bermudes, Gaspar Corrêa, ''The Portuguese expedition to Abyssinia in 1541-1543 as narrated by Castanhoso'', (Kraus Reprint: 1967), p.xxxiii〕〔William Leonard Langer, Geoffrey Bruun, ''Encyclopedia of World History: Ancient, Medieval, and Modern, Chronologically Arranged'', (Houghton Mifflin Co.: 1948), p.624〕〔Ewald Wagner, "`Adal" in ''Encyclopaedia Aethiopica: A-C'', p.71〕〔George Wynn Brereton Huntingford, ''The historical geography of Ethiopia from the first century AD to 1704'', (Oxford University Press: 1989), p.135〕。もっとも、エチオピアの史書にはアラブ人と記録されている〔Franz-Christoph Muth, "Ahmad b. Ibrahim al-Gazi" in Siegbert Herausgegeben von Uhlig, ed., ''Encyclopaedia Aethiopica: A-C'' (Wiesbaden:Harrassowitz Verlag, 2003), pp. 155.〕。また、アフマドに従ったソマリ族であるイサック氏族のハバー・マガドル、ダロッド氏族のハルティ、の戦士はソマリ族としてではなく、キリスト教国エチオピアと戦うムスリム(イスラーム教徒)として戦っており、彼らにとって人種の違いはあまり重要ではなかったと思われる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アフマド・イブン・イブリヒム・アル=ガジー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ahmad ibn Ibrahim al-Ghazi 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.