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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
アブクマポーロとは日本の競走馬である。主戦騎手は荒山勝徳、石崎隆之。「南関東の哲学者」とも呼ばれた。以下は旧年齢に従う。 1997年から1998年にかけ、NARグランプリの年度代表馬部門とサラブレッド系5歳上最優秀馬部門を2年連続で受賞。 == 経歴 == 1995年5月5日、大井競馬場でデビュー戦を飾る。4歳時は8戦3勝、C1クラスの平凡な成績であった。10月のレース後に7か月の長期休養を挟み、5歳になってから復帰戦を勝った直後に、当時開業したばかりの出川克己厩舎に転厩した。 その後白星を重ね、6歳に入ると本格化。初の重賞挑戦となった大井記念で、負担重量52キログラムの軽量ながら2着馬に6馬身の差を付け、連勝記録を7まで伸ばした。続く帝王賞で連勝は止まったが、中央勢が優勢と見られていたなかコンサートボーイのクビ差2着に入り、地方馬のワンツーフィニッシュを決めた。その後サンタアニタトロフィーを勝つと、中央競馬のオールカマーに参戦。それまで芝のレースは未経験ながら単勝2番人気に推されたが9頭立ての8着に敗れ、以降は芝コースでは走っていない。グランドチャンピオン2000でコンサートボーイへの雪辱を果たしたあと(これ以降、コンサートボーイとの力関係は逆転する)ふたたび中央競馬に参戦、東海ウインターステークスで1番人気に応えて勝利。暮れの東京大賞典(当時距離2800メートル)でも1番人気に推されたが、長距離戦を得意としたトーヨーシアトルとキョウトシチーに遅れを取り3着に敗れた。 7歳に入ると凄みを増し、川崎記念を皮切りに、ダイオライト記念、マイルグランプリ、かしわ記念(当時GIII)、帝王賞、NTV盃(当時GIII)まで、いずれも1番人気での6連勝を飾る。とくにかしわ記念はコースレコード(1分35秒4)であり、どのレースも圧勝と言える内容だった。続くマイルチャンピオンシップ南部杯でも断然の1番人気に推されたが、不良馬場で逃げたメイセイオペラを捕らえられず3着止まり。しかし連敗はせず、グランドチャンピオン2000の優勝を挟み、暮れの東京大賞典(この年から距離2000メートル)で、2着メイセイオペラに2馬身半の差を付け雪辱を果たした。ゴール後、及川暁は「アブクマポーロが昨年の忘れ物を取りに来ました」と実況した。 8歳を迎えても強さは衰えず、川崎記念、ダイオライト記念に勝利。しかし、このあと左後肢の飛節を捻挫してしまう。休養後いったんは帰厩するも、復帰は叶わなかった。船橋競馬場で引退式が行われた。 引退後は種牡馬となるも、目立った成績を残せず、2005年に引退。その後は乗馬としてにいかっぷホロシリ乗馬クラブを経て石狩市のオーフルホースコミューンで繋養されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アブクマポーロ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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