翻訳と辞書
Words near each other
・ アブドルファッターフ・アッ=シーシー
・ アブドルファッターフ・シシ
・ アブドルマリク・フーシ
・ アブドルムネイム・アブールフトゥーフ
・ アブドルモネイム・アブールフトゥーフ
・ アブドルラザク
・ アブドル・アルハザード
・ アブドル・アルハズラット
・ アブドル・カディル
・ アブドル・カディル・カーン
アブドル・ハク
・ アブドル・ハリム
・ アブドル・ラザク
・ アブドル・ラフマン
・ アブドル・ラフマン (キリスト教改宗者)
・ アブドン
・ アブドン・パミッチ
・ アブド・アッラフマーン
・ アブド・アッラフマーン1世
・ アブド・アッラフマーン2世


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アブドル・ハク : ウィキペディア日本語版
アブドル・ハク

アブドル・ハクAbdul Haq1958年4月13日 - 2001年10月26日)は、アフガニスタンムジャーヒディーン、政治家。
ソ連・アフガン戦争で活躍したパシュトゥーン人のムジャーヒディーン司令官。2001年10月、反ターリバーン蜂起を煽動するためアフガニスタンに潜入を企てたところを逮捕され処刑された。
外交使節として再三国外に派遣された。特にレーガン大統領がムジャーヒディーンへの大規模な軍事援助を決定したのは、彼が説得したからだと考えられている。1980年代末、ソビエト軍の撤退に関するジュネーブ交渉時、アメリカ国務省に助言した。
== 前半生と人となり ==
ナンガルハール州出身のパシュトゥーン人。生家は、ギルザイ部族連合アフマドザイ部族の富裕な名家で〔Kaplan, 145-6〕、ザーヒル・シャー国王とも関係が深かった。彼の父方の曽祖父ワズィール・アルサラー・ハーンは1869年アフガニスタンの外務大臣を務め、対英対露策に奔走した。また、彼の従兄弟ヒダーヤト・アルサラーは世界銀行の理事を務め、後にカルザイ政権の副大統領に就任した(2001年12月 - 2004年12月)〔Kaplan, 147〕。彼は庶子であったため家督は継いでいない。家督を継いだ兄は〔Kaplan, 67〕イスラーム党(ハーリス派)の指導者だったハジ・アブドゥル・カディールであり〔Khan, M. Ismail. "Taliban execute ex-guerilla commander: Last moment rescue operation fails ", ''Dawn'', October 27, 2001. Retrieved September 25, 2006.〕、カルザイの初期の有力な支援者で、後に政権の閣僚も務めたが、2002年暗殺された(カディールを兄とするもの〔山根聡「アフガニスタンの軍閥と中央政権」 鈴木均編『アフガニスタン国家再建への展望』明石書店、2007年〕と、弟とするものがある)。
マドラサに通った後、8歳からリセで学んだ。パシュトゥー語ダリー語英語を自由に話す。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アブドル・ハク」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.