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アブド・アルマリク
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アブド・アルマリク ( リダイレクト:アブドゥルマリク ) : ウィキペディア日本語版 | アブドゥルマリク
アブドゥルマリクあるいはアブド・アルマリク(647年-705年、Abd al-Malik ibn Marwan、عبد الملك بن مروان)は、ウマイヤ朝の第5代カリフ(在位:685年-705年)。ウマイヤ朝中興の英主と評価される。 == 略歴 == 685年に父である第4代カリフのマルワーン1世が死に、カリフに即位する。即位後はムアーウィヤ(1世)死後から進むイスラム世界の分裂を抑えるため、軍を動かして反対運動を制圧した。692年、アル=ハッジャージ・イブン・ユースフの率いる大軍をメッカに派遣し、カリフを自称して反ウマイヤ運動を展開していたクライシュ族の有力者アブドゥッラー・イブン・アッズバイルを滅ぼし、帝国全土の支配を回復した〔嶋田(1978)p.17〕。対外面においては東ローマ帝国と戦って領土を拡大したうえ、東はアル・ハッジャージをイラク総督に、西はムーサー・イブン・ヌサイルを北アフリカ総督に任じ、2人の活躍により、それぞれシンド・ソグディアナ地方とモロッコ西部まで版図を拡大した。経済面においては、新たに金貨(ディーナール金貨)・銀貨(ディルハム銀貨)を鋳造した。彼の治世においてアラビア語を公用語にしたことは功績のひとつといわれている。しかし、キリスト教徒を嫌って激しく弾圧した。705年、59歳で死去し、後を子のワリード1世が継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アブドゥルマリク」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Abd al-Malik ibn Marwan 」があります。
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