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アブド・アル=ハック2世 : ミニ英和和英辞書
アブド・アル=ハック2世[あぶどあるはっく2せい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

アブド・アル=ハック2世 : ウィキペディア日本語版
アブド・アル=ハック2世[あぶどあるはっく2せい]
アブド・アル=ハック2世(Abd al-Haqq ibn Uthman Abu Muhammad、? - 1465年)は、モロッコに存在していたマリーン朝スルターン君主、在位:1420年〔那谷 1984, pp.195-196〕/21年〔私市 1999, p.116〕 - 1465年5月19日)。アブー・サイード・ウトマーン3世の子。1420年ワッタース家出身の宰相の下で即位し、1465年まで名目上のスルターンとして王位を保持した〔Bosworth 1996, p.41〕。
== 生涯 ==
1420年に父のアブー・サイード・ウトマーン3世が暗殺された後、1歳のアブド・アル=ハック2世が王位に就けられた〔。アブド・アル=ハック2世が即位して間もなく、他の王族が王位を要求して後継者争いが勃発する〔Julien 1931, pp.195-196〕〔Abun Nasr 1987, p.114〕。
ワッタース家のはマリーン朝内の政敵に対抗するためにアブド・アル=ハック2世を支持し、王室と婚姻関係を築いた〔。アブド・アル=ハック2世統治下のモロッコは間も無く混乱に陥り〔、ワッタース家の影響力はマリーン朝のほぼ全域に及ぶようになる〔。
成長したアブド・アル=ハック2世は、1437年にアブー・ザカリヤーを宰相職から罷免する〔Julien 1931, p.196〕。同年にマリーン朝はタンジールポルトガルの攻撃から守り抜く。防衛の成功は国民の士気を上げ、守備隊を指揮していたアブー・ザカリヤーの威信を高めた〔。1438年に首都フェズイドリース朝の君主イドリース2世の墓がほんの偶然から「発見」され、墓廟は巡礼者にとって重要な目的地とされる〔Powers 2002, p.14〕
1458年にアル=ハック2世はワッタース家の人間を虐殺し、代わりにユダヤ教徒を要職に就けた〔。アル=ハック2世が起用したユダヤ教徒たちはイスラム教徒を圧迫し、ユダヤ教徒にとって有利な裁定を下したため、マリーン朝内のイスラム教徒の不満は高まった〔。ユダヤ教徒の警察長官フサイン・アル=ヤフーディーがシャリーフ(預言者ムハンマドの子孫)の女性を尋問し、侮辱したことが引き金となってフェズ市民の不満が爆発した〔私市 1999, pp.116-117〕。1465年5月19日にアル=ハック2世は新フェズで市民に襲撃され、殺害された〔私市 1999, p.117〕。
アル=ハック2世の死によってマリーン朝は滅亡し、シャリーフの政権が一時的にモロッコを統治した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アブド・アル=ハック2世」の詳細全文を読む




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