|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 林 : [はやし] 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket
アブドーラ小林(アブドーラこばやし、本名:小林 洋輔(こばやし ようすけ)、1976年7月22日 - )は、日本のプロレスラー。長野県千曲市出身。大日本プロレス所属。身長175cm、体重140kg。愛嬌あるキャラクターとして君臨している。プロレスでの師匠はアブドーラ・ザ・ブッチャーでリングネームもその師匠の名前から取っており師匠譲りのファイトを展開している。自称「信州信濃の流血マシーン」「ブラッドレインメーカー」。自ら起業したレスラーズ運輸という運送会社の代表を務める傍ら、「スーパー銭湯おふろの国」での催しとしてマグロ・鮭・タコ・真鯛・ロブスターなどとも戦ってきた。 == 経歴 == 大日本プロレスの草創期メンバーの一人。2004年まではBJW認定デスマッチヘビー級王座に一歩届かなかったものの、2005年は関本大介とのコンビ、「マッスル&ファットです。」を結成し、これが観客に大ウケ。パワー溢れるプレーを持ち前に、伊東竜二&佐々木貴組、「045邪猿気違's」こと葛西純&"黒天使"沼澤邪鬼と抗争を繰り広げていた。 2005年10月14日、後楽園ホールで「045邪猿気違's」と空位になっていたBJW認定タッグ王座を争い、「蛍光灯250本デスマッチ」で激突。試合途中からはズボンを脱ぎ捨ててふんどし姿で奮闘し、見事必殺のダイビング・バカチンガーエルボーwith蛍光灯で葛西を沈め、タッグ王者に輝いた。 さらに12月21日横浜文化体育館大会で伊東のBJW認定デスマッチヘビー級王座奪取をかけて「蛍光灯&建築現場デスマッチ」で激突。見事に打ち負かしてタイトルを奪取した。 しかし、その後の試合は2006年3月現在全て全敗、しかも全てタッグ戦でほとんどパートナーがやられてばかりで、挙げ句の果てには、伊東や佐々木貴に「ベルトの価値を落とした」とボロクソに罵られる始末。これが発端となり、2006年3月31日、佐々木貴との防衛戦として、「蛍光灯&剣山デスマッチ」を行ったが敗戦。ベルトを失ってしまった。 2007年9月24日後楽園大会「デスマッチ・ロイヤルランブル」で優勝し、デスマッチヘビー級次期挑戦権を獲得し、第21代王者・"黒天使"沼澤邪鬼と、10月14日後楽園大会で、長嶋茂雄の通算本塁打数にちなんだという「蛍光灯444本デスマッチ」で対戦したが、あえなく敗戦。再度のベルト奪取はならなかった。それ以降も度々、440本オーバーの蛍光灯を用いての蛍光灯デスマッチで宮本裕向(2009年9月30日・高岡テクノドーム・445本)・伊東(2010年12月19日・横浜文体・450本)に挑戦しているが、全て敗退している。 2008年8月に地元・長野を活動拠点とする信州プロレスに初参戦〔信州プロレス定期戦1弾 試合結果 〕。以後、何度か参戦している。リングネームは「矢島聡」を名乗ったこともある〔信州プロレスアリーナ定期戦 デクの坊弁慶シリーズ2 〕〔2011-11-20信プロ定期戦第三試合Part1 〕〔2010-11-20信プロ定期戦第三試合Part2 〕〔信州プロレスアリーナ定期戦 ミルキーシリーズその1 〕〔2011-01-22信プロ定期戦第四試合 〕。また、2011年には「RE:2011 グレート☆無茶の大冒険 第2弾」にも参戦し、長州力、初代タイガーマスク、藤波辰爾ら、大物レスラーとの対戦も経験した〔RE:2011 グレート☆無茶の大冒険 第2弾 〕。 2010年には渡米したうえでコンバット・ゾーン・レスリングのトーナメント・オブ・デスに参戦。ニック・ゲージとの第一回戦を制したのち、JCベイリーとの第二回戦で敗れ去った。〔ケージマッチ:トーナメント・オブ・デスⅨ 〕 2011年12月18日横浜文化体育館大会「クライマックス・ゲーム・オブ・デス」で伊東を破り2度目のBJW認定デスマッチヘビー級王座を獲得。2012年はプロレス大賞MVP獲得を目指して防衛回数を重ねることを公言し、その通り12月9日の横浜文化体育館大会で伊東と7度目の防衛をかけた「セブン・カラーズ・デスマッチ」に勝利するまで年間での防衛を果たし、防衛回数記録更新が評価されプロレス大賞の敢闘賞と日本インディー大賞のMVPを手にする。しかし2013年1月2日の後楽園大会で石川修司に敗れ8度目の防衛に失敗し王座から転落したため、直後の7日に行われたプロレス大賞の表彰式はタイトルなしで参加した。 2013年5月5日に受けた血液検査でC型肝炎ウイルス感染の疑いが発覚した。直後の再検査では検出が抗体のみで抗原は検出されず、団体内外の参戦選手も再検査の結果に異常がなかったため早期に復帰できると思われたものの、さらに念のためとして受診した精密検査で小林の体内にウイルスの残留が確認されたため、発症はしなかったが治療を行うことになり、完治まで他選手への感染防止のため選手活動停止を命ぜられる。その後治療中から2014年7月の最終検査まで半年以上ウイルスが発見されない状態が続いたことから、26日の後楽園大会で復帰を発表。8月10日の「長野・佐久創造館大会」で〔長野・佐久創造館大会 〕、1年3か月ぶりに復帰戦(対征矢学・河上隆一戦、パートナーは大鷲透)を行ない、同月15日には「伊東竜二デビュー15周年記念大会~ビックサマー・デスマッチドラゴン・フェスティバル~」デスマッチ復帰戦(蛍光灯300本デスマッチ、対伊東戦)を行う。なお、これらの試合には敗れている。 復帰後、小林の欠場時に宮本が使用していた「愛してますチョップ」を宮本が継続して使用したことから因縁が生まれ、2014年12月21日に行われたBJW認定デスマッチヘビー級王座戦は「愛してます・コントラ・愛してます」として行われ、負けた小林は愛してますチョップを封印させられてしまう。さらに2015年の一騎当千での予選中、木高イサミと「バカチンガーエルボードロップ・コントラ・勇脚」ルールで行った試合に敗れてしまい、一騎当千でのバカチンガーエルボードロップまで封印されてしまうが、小林はイサミと共に決勝へ進出し再対決を征して初優勝しエルボーの封印を解く。さらにこの優勝で宮本と再戦する権利を得たことから、5月5日に「愛してますチョップ完全決着戦」として王座戦のリマッチをおこない、これに勝利して3回目の王座獲得のうえ「愛してますチョップ」の封印も自力で解いた。 これで7月20日の両国国技館大会で伊東竜二と防衛戦を行うことを決定させたが、6月にC型肝炎ウイルスの抗体が再び発見されたことが判明し以前の罹患によるものか見極めるため一旦欠場することになり、精密検査の結果ウイルスは発見されなかったことから6月29日に復帰し両国大会には間に合ったが、「20周年記念20アイテムデスマッチ」として行われた試合では伊東に敗れベルトを失った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アブドーラ小林」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Abdullah Kobayashi 」があります。 スポンサード リンク
|