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アベ フトシ(本名:安部 太〔公式サイト にて発表〕、1966年12月16日 - 2009年7月22日)は、日本のギタリスト。1991年から2003年まで、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのギタリストとして活動した。2009年7月22日未明、急性硬膜外血腫のため死去。満42歳没。 == 経歴 == 広島市中区江波出身〔中国新聞、2009年7月23日、28面。〕〔『ROCKIN'ON JAPAN』2009年9月号 p.102〕。広島工業大学高等学校卒業。身長187cm。血液型A型。バンド、STRAWBERRY JEANのメンバーとして活動後、インディーズで音源を幾つか発表するが、音楽性の違いにより脱退。1994年に、知人の紹介でTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTに加入。同年7月9日、下北沢屋根裏にてワンマンライブ。チケットは完売であった。 1996年、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのギタリストとしてシングル「世界の終わり」でメジャーデビュー。2003年10月11日、幕張メッセでのライブを以ってTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT解散。メジャーデビュー後は解散に至るまで、ライブでは殆どMCをしてこなかったが、解散ライブの最後には笑みを浮かべながら「ありがとう」とだけ述べ、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTでの活動を終了。 2004年、元SNAIL RAMPのAKIOのソロプロジェクトKOOLOGIに参加。 2006年、和氣亜耶、惑星の元ベース清水義将、山岡卓寛と共にバンドCARRIEを結成するも、同年12月21日に解散。2008年9月15日、シーナ&ザ・ロケッツの広島公演にてSpecialGuestとして5曲を演奏。 晩年は故郷・広島に帰りペンキ屋として生計を立てていた。同郷の先輩・吉川晃司に東京に呼び出され、自身のライブへの参加を要請されるが泥酔していた2人は会談の席で殴り合いの喧嘩になる。翌日、アベは吉川に謝罪しオファーを快諾。12月29日〜31日の代々木第二体育館で行われた吉川晃司のライブに出演し、吉川を"アニキ"と呼び慕うまでに親睦を深めた。しかし、これがアベの生涯最後のライブ出演となった〔「愚 日本一心」吉川晃司(角川マガジンズ)〕。 2009年7月22日未明、急性硬膜外血腫のため死去。満42歳没。7月25日、The Birthdayのボーカルとしてフジロック・フェスティバルに出演したチバユウスケは、ライブの冒頭で「今日のライブは、俺達の大親友だったアベフトシに捧げます。」と述べた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アベフトシ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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