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アポリネール : ミニ英和和英辞書
アポリネール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アポリネール ( リダイレクト:ギヨーム・アポリネール ) : ウィキペディア日本語版
ギヨーム・アポリネール[ちょうおん]

ギヨーム・アポリネールGuillaume Apollinaire, 1880年8月26日 - 1918年11月9日)は、イタリア出身のポーランド人の詩人小説家、美術批評家。本名ヴィルヘルム・アポリナリス・コストロヴィツキ(Wilhelm (Albert Vladimir) Apollinaris de Kostrowitzky / Wiliam (Albert Włodzimierz) Apolinary Kostrowicki)。
印象派批判主義「キュビスム」の先導者の1人。主な作品に『ミラボー橋』がある。
"シュルレアリスム"という語は彼の作品から生まれた。
== 生涯 ==
ローマにて出生。母はナヴァフルダク近郊出身のシュラフタ(szlachta: ポーランドの貴族)。父の素性は不明であるが、アポリネールの幼少期に姿を消したスイス系イタリア人貴族、フランチェスコ・フルージ(Francesco Flugi d'Aspermont)であるとみられる。
19歳のとき、パリに赴く。市内のモンパルナスにはパブロ・ピカソマルク・シャガールマルセル・デュシャンら錚々たる芸術家が集ったが、中でも彼は、特に人気のある部類に属していた。1911年、キュビズムを奉ずる一派「ピュトー・グループ」に参加。同年9月7日、レオナルド・ダ・ヴィンチの名画『モナ・リザ』盗難事件の犯人として逮捕されるが、1週間で釈放された(『モナ・リザ』は2年後の1913年12月に発見された)。
詩人としては、詩集『腐ってゆく魔術師』(''L'enchanteur pourrissant'', 1909年)や『アルコール』(''Alcools'', 1913年)で、名声を確立した。これらは象徴主義の影響を受けている。また、随筆『キュビストの画家たち』(''Les Peintres cubistes'', 1913年)は、多くの前衛画家の存在と価値とを世に知らしめた。死の直後に公刊された『カリグラム』(''Calligrammes'', 1918年)では、文字で絵を描くという斬新な手法で高い評価を得た。
『アルコール』は、句読点を一切用いない独特の文体で知られる。また、同書に収められた『ミラボー橋』(''Le pont Mirabeau'')は、画家マリー・ローランサンとの恋とその終焉を綴り、シャンソンの曲として歌われるようになった。
小説の分野では、同性愛サディズム、殺人に関する描写をふんだんに盛り込んだ『一万一千本の鞭』(''Les Onze Mille Verges'', 1907年)を上梓。しかし直ちに発禁処分を受け、以後フランスでは1970年まで公刊されなかった。
匿名で出版した『若きドン・ジュアンの冒険』(''Les exploits d'un jeune Don Juan'')では、姉や叔母、妊娠中の女など、様々な女性と関係する主人公ロジェの奔放な性生活を綴り、ベストセラーとなった。同書は1987年に映画化されている。また、短編集『異端教祖株式会社』(''L'hérésiaque Et Cie'')では、語呂合わせの技法を縦横に駆使した幻想的な世界を展開した。
批評家としては、マルキ・ド・サドの自由主義的思想を激賞し、モーリス・エーヌ(Maurice Heine)と共に、サドの再評価とサド文学の復興に尽力した。またジョルジョ・デ・キリコを絶賛し、評論『キュビスムの画家たち』を発表してパブロ・ピカソをはじめとするキュビスムの画風の革新性を論じるなど、20世紀の新たな芸術の評価の確立に大きな役割を果たした。
第一次世界大戦に従軍するが、1916年に負傷。翌1917年戯曲『ティレシアスの乳房』(''Les Mamelles de Tirésias'')が上演された。
1918年、スペイン風邪で病死した。38歳。ペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ギヨーム・アポリネール」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Guillaume Apollinaire 」があります。




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