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『アポロの杯』(アポロのさかずき)は、三島由紀夫の旅行記・随筆。1951年(昭和26年)12月25日から翌1952年(昭和27年)5月8日までの約4か月半にわたる世界一周旅行の見聞録である。「航海日記」「北米紀行」「南米紀行―ブラジル」「欧州紀行」「旅の思ひ出」の5部から成る。横浜港から客船で出帆したこの旅は三島の初の海外旅行で、作家としての自分を高めるべき「自己改造」の契機となった渡航でもあり、三島の一つの転換点として位置づけられている〔「私の遍歴時代」(東京新聞夕刊 1963年1月10日-5月23日号)。『私の遍歴時代』(講談社、1964年4月)、、、〕〔「第二章 物語を動かす『他動的な力』――『潮騒』における日本回帰」()〕。 なお、当時日本はGHQの占領下で、一般人の海外旅行は禁止だったため、三島は朝日新聞の特別通信員として渡航した〔〔「第五回 多面体としての性」()〕。旅で体感した太陽、謝肉祭、美術、文化、遺跡は、26歳から27歳の三島に深い印象を残し、特にギリシャ体験は心のうちに潜在していたものを顕在化させ、小説『潮騒』誕生の動因や、その後の「肉体改造」(ボディビル)への伏線を形作った〔「焦土の異端児」()〕〔山中剛史「才華繚乱の文学」()〕〔「第三章 問題性の高い作家」()〕。またこの旅行記は、公的な歴史書からは知ることのできない、変転する歴史の一つの証言という意味合いも帯びている〔佐伯彰一「解説」()〕。 == 発表経過 == 1952年(昭和27年)に複数の文芸雑誌などに以下のように連載された〔井上隆史「作品目録」()〕〔『アポロの杯』(朝日新聞社、1952年10月)。〕。 *『サンパウロ新聞』2月19日号 - 「小邑ヴィラサビノ」(のち「南米紀行―ブラジル」〈リンス〉) *未詳4月 - 「航海日記」 *『群像』4月号 - 「あめりか日記」(のち「北米紀行」〈序曲、ハワイ、桑港、羅府、ニューヨーク、フロリダ、San Juan〉) *『新潮』5月号 - 「リオ・デ・ジャネイロ」(のち「南米紀行―ブラジル」〈リオ―転身―幼年時代の再現〉) *『中央公論』5月号 - 「サン・パウロの「鳩の町」―南米紀行」(のち「南米紀行―ブラジル」〈サン・パウロ、再びリオ・デ・ジャネイロ、謝肉祭〉) *『別冊文藝春秋』6月号(28号) - 「南米紀行」(のち「南米紀行―ブラジル」〈リンス〉) *『婦人公論』7月号 - 「憂鬱なヨーロッパ」(のち「欧州紀行」〈ジュネーヴにおける数時間、パリ―シルク・メドラノ、ロンドン及びギルドフォード〉) *『近代文学』8月号 - 「フォンテエヌブロオへのピクニック」(のち「欧州紀行」〈パリ―フォンテエヌブロオへのピクニック〉) *『芸術新潮』7月号 - 「希臘・羅馬紀行」(のち「欧州紀行」〈アテネ及びデルフィ、ローマ〉) *未詳7月 - 「旅の思ひ出」(書き下ろし) 以上をまとめた単行本『アポロの杯』は、1952年(昭和27年)10月5日に朝日新聞社より刊行された〔山中剛史「著書目録――目次」()〕。その後、1954年(昭和29年)3月刊行の『三島由紀夫作品集6』再録にあたり、図版や三島が創作した詩劇アンティノウス「鷲ノ座――近代能楽集ノ内」と、それを改編した短編小説「アンティノウス」(未完の草稿)が付加された〔田中美代子「解題」()〕。 翻訳版は、イタリアのMaria Chiara Migliore訳(伊題:La coppa di Apollo)、中国の申非・林青化訳(中題:阿波羅之杯)で行われている〔久保田裕子「三島由紀夫翻訳書目」()〕。 なお、『アポロの杯』には収録されなかったが、同旅行の紀行エッセイには以下のようなものがある〔。 *『羅府新報』2月9日号 - 「髭とロタサン」 *『朝日新聞』3月5日号 - 「旧教安楽―サン・パウロにて」 *『朝日新聞』3月29日号 - 「リオの謝肉祭」 *『朝日新聞』5月4日号 - 「パリの芝居見物―パリにて」 *『朝日新聞』5月22日号 - 「パリにほれず」 *『週刊朝日』6月8日号 - 「遠視眼の旅人」 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アポロの杯」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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